孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

祝福されし欠落者

僕「トム・クルーズって知ってる?」

 

同僚「逆に自分ら世代で知らない人いるの?新作が公開されるMIPシリーズや、ワールド・ウォーZトップガン宇宙戦争、ナイト&デイ、ラストサムライレインマン、ザ・マミー、マイノリティ・リポートなどなど、どれを取っても代表作と言っても過言じゃない地球を代表するトップ映画スターやん。」

 

僕「じゃあその彼に、「識字障害(ディスレクシア)」っていう字が読めないっていう学習障害があることは?」

 

同僚「!?」

 

僕「かなり有名な話で、あれだけ映画に出てるのに文字が読めない(台本や脚本が読めない)んだってさ」

 

同僚「それでどうやってセリフとかおぼえたりしてるんさ?」

 

僕「台本を読んでもらったのを録音して、それを聞いて覚えてるんだって。目で覚えられないから耳で覚える。彼はとんでもない努力家なんよ。」

 

同僚「イーサン・ハントぱないわ」

 

僕「キアヌ・リーブスは知ってる?」

 

同僚「僕が一番好きな俳優だよね。彼も映画界の超大物やね。普段は浮浪者みたいな生活してるとか...」

 

僕「億万長者なんだけど普段は浮浪者みたいな格好してるんだってさ。彼の人生は映画顔負けに凄まじく不幸だったんだよ。

 

同僚「そーなの?」

 

僕「父親は麻薬の売人で母親はどビッチ。次から次に家に男連れ込んでたんさ、滅茶苦茶な家庭だったんよ。妹が重病でその莫大な医療費はキアヌが負担してる。日本と違ってアメリカの医療費は狂気だからね。十代の頃にはアイスホッケーに夢中になっていて、なかなかいい選手だったんだけど怪我で挫折。その後も、結婚を控えていたらしいお腹に赤ちゃんを宿していた恋人を事故で失っている。この頃から人目や身なりをいっさい気にしなくなって、ボロボロの服着て髭モジャモジャで浮浪者みたいな生活。パパラッチに追跡されても写真取られまくっても全く無関心。」

 

同僚「聞いたことあったわ。それなのにとんでもない無邪気さと凄まじく人を惹きつける人格。もう、悟りを開いてるだの究めきった僧侶みたいだのって言われてる人なんだってね

 

僕「育ってきた環境だけみたらスラムのチンピラや犯罪者みたいになっていてもおかしくなかったのに彼は一切腐らなかったこと。自分自身の努力と才覚だけで間違いなく頂点に登りつめてる。

 

同僚「さすが、ザイオンと人類を救った救世主だけのことあるよね。弾丸とかめっちゃ避けるし笑笑」

 

僕「所謂「成功者/勝ち組」の連中の中にもこういう人たちは意外とたくさんいる、他にもアカデミー賞取ったミュージカル映画ラ・ラ・ランド主演女優のエマ・ストーン重度のパニック障害。発作が起きると撮影ストップしちゃってたんだけどそれでも周りの理解と協力もあって映画は無事に公開。凄いよね!」

 

同僚「ほーん」

 

僕「「世界を一変させた」パソコンやらスマホを世に普及させたApple社のスティーブ・ジョブスは明らかに自閉症型の性質の人で、凄まじく強いこだわりとコミュ力の欠如と暴君的な人格。確かに才能はあったんだろうけど完全に「出る杭..」だったのに環境とそれをサポートしてくれる人たちが周りにいたおかげで現代社会最大級の成功者になり得た。」

 

同僚「もう亡くなってるけどね。」

 

僕「坂本龍馬は泣き虫でおねしょしてばっかりの発達障害のガキだったけど、大好きで理解者だった姉のおかげで身を立てられた。間違いなく彼がいなかったら歴史は変わっていた。」

 

同僚「諸説あるけど重要な役割を果たしたことは間違いない。日本を代表するシスコンで、やっぱり獣神化してるだけのことはあるねwww」

 

僕「そーだね」

 

僕「偉大な音楽家と言えば、メジャーすぎるくらいにメジャーなベートーベンは耳が悪かった。チビで隻眼の伊達政宗はそれでも最強クラスの武将で、ヴァチカンに使者送って日本の「キリスト教徒の王」になろうとしてたんだってね。」

 

同僚「へー」

 

僕「つまり、なにが言いたいかというとハンディキャップがあろうが、生まれや生い立ちが最悪だろうが、自分に適した環境とサポートしてくれる人がいてくれれば誰もが、成功することが不可能ではないんよ。」

 

僕「そういう、支えてくれたり理解してくれたり導いてくれる存在のことを「メンター」なんて言うらしいのだけどこれがいるかいないかで人生の質的なあれが全然変わってくるんよ。」

 

同僚「ヘレン・ケラーにとってのサリバン先生的な感じ。」

 

僕「それな!」

 

同僚「自分に適した環境と理解者を得られる人の割合ってどのくらいなんだろうね?」

 

僕「それはわからないけど、もし当てはまるならそれは、この上なく幸福な事であるのは間違いないだろうね。」

 

要介護者からの暴力について③

防ぐことのできない理由.....

 

 

僕も当たり前に、顔面パンチを食らってメガネを壊されたり、移譲の際に(二人介助でも)爪を立てられたり殴られたりして血を流したことはあります。

つーかそんなのはしゅっちゅうです。

 

介護職になるまでにやっていた他の職種も乱暴で暴力的な人たちばかりのところを渡り歩いてきたので人並み以上には「暴力慣れ」している自信はあるのですが、それでも痛いものは痛いし嫌なものは嫌です。

 

当然、なんの保証もないし、なんなら「殴られるほうが悪い」と言われるのが当たり前の世界なのでもう馬鹿馬鹿しくてやっていられません。

 

上司や会社に報告したところでなんの対策も対応もないし、「自分を守るためだよ」とかいうご立派な御託を並べられて事故報告書やらカルテへの記載やらの時間外にやらなきゃいけない余計な仕事が増えるだけです。

 

うちには、もうずいぶんADLが低下しましたが、「俺様は天皇陛下だ!お前たちなんか殺しちまうぞっ」が口癖な厄介な利用者の暴力爺さんがおられます。

その人からの暴力行為や他の利用者とのトラブルの報告書だけで20枚以上の事故報告書が提出されていますが何も変わりません。

 

現場の職員一同が何度も何度も「いい加減にしてくれ!」と訴えているのですが当然、会社も家族もシカト。

「退去理由には当たらない」、「やり方が悪いせいだ工夫しろ」と言われるばかりでなにも変わりません。

卑劣なブラック企業「(株)シダー」では入居者の人権も職員の人権も、さらさら守られてもいないし守る気もありません。上辺だけのコンプライアンスを謳うばかりで肝心なところはいつも見て見ぬふり。実に介護業界らしいことで。

 

認知症の高齢者」という無敵の存在でもう、「法律の向こう側」に行ってしまっている人たち。

とんでもなく手厚く保護されていてその上責任能力がない」人達。

 ニュースや新聞を見ていて誰もが疑問に思ったことがあるであろう事件や事故の加害者たち。

被害者は口を閉じて泣き寝入りするしかないのでしょうか?

 

 

「いや、お前ら(介護職)はそれを請け負う為にいる人種だろ?利用者の家族や医療職や社会が被る「辛さ」を全部、おっ被るスケープゴートだろ?当然そんなことわかっていて勤めてるはずなんだから文句言ってんじゃねーよwww嫌なら辞めれば?」

 

と思われるでしょうが問題なのは暴力行為を受けていることそのものではなくて「それに対する対応」をすることができないところです。

 

詳しく書きますが、手がつけられない暴力性/危険行為を発揮する入居者/患者に対する対策は事実上「抑制(=拘束)」を行う以外にありません。

 

もうこの「抑制」という言葉だけで物凄いアレルギー反応を起こすのが企業や社会や介護職の性質なのですが事実上、自分自身すら傷つける恐れのある自傷/他害行為のある人達(信じられないかもしれないけど本当に存在します)を守るためにも必要最低限の「抑制」はあっても仕方がないと思います。

 

意識高い系の大好きなユマニチュードや、バリデーションを行なったところで効果がみられずに暴力行為を発揮する人達もいます。

 

極端な事例ですが、妊娠中の女性職員が利用者からの暴力で腹部を蹴られ流産(切迫流産)した例だってあります。

 

超少子高齢社会のこのクソ日本でこれから生まれてくる命が死に損ないのボケ老人によって奪われる。

鬱苦死い国を象徴するステキなお話です🌟

 

抑制(身体拘束)と聞けば世間の人たちは、映画版デスノート戸田恵梨香演じる、「弥 海砂(あまねみさ)」よろしく、手足足枷をつけて鎖で縛り付けられるを想像するのかもしれませんがそこまでする事例なんてほぼ存在しません。

 

ぶっちゃけ病院だったら「治療の為」という大義名分で車椅子にベルトをつけたり手にミトンを装着したり臥床した際に「安全ベルト」を使用しています🧤

 

だけど、「生活の場」である介護施設ではそれは事実上不可能なことです。

高齢者虐待防止法で定められている「虐待」というのは身体的、精神的、経済的、性的、放置放任(ネグレクト)の五つに分類されていて抑制(身体拘束)はそのうちの「身体的虐待」にあたります。

やむを得ない場合というのも想定されてはいるのですが、そのやむを得ないというのは切迫性、一時性、非代価性の三要件を満たす場合のみということで例えば、「火事や洪水が発生してそこから逃げ出す時」とかであって暴力行為があるからは理由になりえません。

 

会社や施設もそれをわかっていて、

 

利用者の人権>>>>>>>>>>>>>>>>>>>職員の安全

 

なので現場の職員が殴られて鼻血出そうが蹴っ飛ばされて怪我しようがなにもしません。

 

物理的な拘束(身体拘束=フィジカルロック)じゃなくて薬による抑制(安定剤を処方したりして落ち着かせる)も「ドラッグロック(=薬による拘束)」とみなしてやらないところ、やらせない家族も多いです。

 

「ちょっと待ってください」、「危険だからいまは立ち上がらないでください!」...これだけでも「スピーチロック(言葉による拘束)」とみなされて吊るし上げのネタにされることがあります。

 

「拘束なんてしたらおじいちゃんおばあちゃんが可哀想!」だと思うのは感情的に当たり前のことですが、本当に可哀想なのはこっち(医療者/介護職)だよ!!と思ってしまいます。

 

思う権利もないのだけどwww

要介護者からの暴力について②

「汝、右の頬を殴られたなら左の頬を差し出しなさい。」

〜マタイによる福音書 第5章

 

 

障がい者や、要介護高齢者(認知症)が暴れたり暴力を振るう理由は様々ですが、自分は老人ホーム勤務の介護福祉士なので今回は認知症高齢者」の暴力に限定して話しを進めようと思います。

 

要介護の障がい者自傷/他害行為についてはその筋の専門家たる植松聖大先生に聞いてみましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、アウトー

独りノリ突っ込み〜

 

笑えない冗談はさておき、認知症高齢者の所謂「暴力行為」は認知症(主にアルツハイマー型)の中核症状から派生するBPSDと呼ばれる「周辺症状」に分類されるものです。

認知症の彼ら彼女らが発揮する「暴力性」見当識傷害」からくる「不安・恐怖心・防衛本能」の現れでその「根幹原因」を拭い去ることが出来れば鎮めることが出来ると考えられています。

....ここら辺は介護の大前提で「要介護者様の想いを理解/傾聴すれば暴力や危険行為なんてありえない!」と、意識高い系の介護職は熱狂的に絶叫します。

 

たしかに、機嫌が悪くてそわそわして徘徊しまくりな婆様の不穏の理由がただの「便秘」だったり、興奮して怒鳴り散らして手がつけられない爺さんの暴れる理由が「自分が今、どこにいるのかわからない、外に出たくて暴れている。住環境の変化による状態の悪化(リロケーション・ダメージ)」だったりするのはザラな話しです。

 

たっぷりと便失禁している爺さんに「さぁオムツを取り替えましょう!」と近づくのも、何日も何週間もお風呂に入ってない婆さんに「さぁ、入浴するから服を脱いでください」というのも彼らからすれば「得体の知れないやつが俺様の身ぐるみ剥ごうと襲ってきた」と思っているかもしれないし、「この男、17歳の乙女の私の服をいきなり脱がそうとしてくるわ!!貞操の危機!!」と感じているかもしれません。

 

言い方が悪いですが「認知症」や「精神疾患」の彼ら彼女らの頭の中はもはや異次元なので、彼らの「こう思ったらこう!」を覆すことは5年弱の介護歴の経験から言ってぶっちゃけ無理です。

 

「別のアプローチを考える」、「時間を置く」、「介助する職員を変える」くらいしか三流介護職の自分には思いつきません。

 

それで解決できればいいですが、どうしょうもない場合も多々あってそういう時には認知症高齢者の暴力行為に真正面から立ち向かわなければならない場面も出てきます。

しかも、「全身全霊で自分を殺しにかかってくる攻撃を、攻撃してくる相手を守りながら」捌ききらないといけません。

 

振りかざした拳を振り回せばどこかにぶつけて痣ができたり骨折するかもしれません。大便まみれの自分の爪で自分の身体を傷つけてしまうかもしれません。どこかに僅かに掠っただけでも簡単に皮膚が剥がれます。バランスを崩して転倒でもされれば足の骨を折ることだって十分ありえます。

 

殴りかかられているのはこっちなのにその手や腕を受け止めた時についた跡や発赤を「虐待」とみなされるかもしれません。殴られようが蹴っ飛ばされようが噛みつかれようが爪を立てられようが、医療者や介護職が最優先で考えなければならないのは「神様(患者/利用者)の身の安全」。

 

合気道や、柔道の段でも持っていれば可能かもしれませんが「誰にでもできる最底辺」の介護職に世の中が求めるスペックはどれほどのものなのでしょうか?

 

自分にスパイダーマンやアイアンマン、またはハルク並みの耐久力やスーパーパワーがあれば話しは別ですが、信じられないかもしれないけど、「医療者」や「介護職」も、実は人間なので殴られたり蹴られたりすれば怪我もするし血も流すし怒りも沸きます。💢😡

 

「仏の顔も三度まで」と言いますが介護職の忍耐は無限でないといけません。

「汝、右の頬を...」と言いますが「なんでこの待遇と、この給料で神や聖人の域超えなあかんの?」と思ってしまいます。

 

「そういった症状」はもう仕方ないのかもしれないけれど、1000歩譲って自分のようなまだ、20,30,40代の比較的若い男性介護職なら「殴られるのも仕事のうち」なのかもしれないけれど現場には5,60代のおばちゃん達や、ハタチそこそこの若い女の子達もたくさんいます。暴力行為だけでなくその娘たちへのセクハラも凄まじいのも事実です。

 

要介護者からの暴力について①

意外に思われるかもしれませんが、実は介護職は利用者(老人・障がい者)たちからかなりの強度で暴力を受けています。

 

「逆じゃないの?暴力をふるって虐待するのは最低最悪の介護士供で、か弱い体の不自由な老人達を痛めつけているんでしょ?」、と思われる人が大多数でしょうが実際は逆です。

 

これだけメディアや報道で、「介護殺人」やら「虐待」、「暴力・暴言」が取り沙汰されているわけだからそう思われるのも当たり前です。

...言うまでもないですが決して「被介護者→要介護者」への暴力/虐待があることを否定しているわけではありません。

 

実際は、テレビや新聞で報道される「被介護者からの要介護者への虐待」の何千何万倍も、まるっきり顧みられることもなく誰からも目も当てられない「要介護者からの被介護者への暴力」が日常茶飯事に起きています。

 

 

例えば、「DV」といえば「被害者は女性、加害者は男」というのが当然当たり前の認識でしょうが警視庁がとりまとめている統計によれば「女性→男性」へのパターンも少なからず存在することが確認されています。

くどいですが事実です

 

 

女性=弱者

男性=強者

 

 

差別だと騒ぎたければ勝手にすればいいけれど生物学的にも社会的にも上の認識が「当然当たり前」のことで、「強くて乱暴な男が、か弱い女性に暴力を振るうなんて最低」だということには一片の疑問の余地もないことですが、逆に「抵抗できないやり返せない男に悪意と感情剥き出しで暴力を振るう女」もたしかに存在します。

 

「男が女に攻撃されるなんてダッセェ。情けない」

 

と、思われるでしょうが例えば、

 

「妻が旦那を10発ぶん殴ったとして、1発旦那ががやり返したら相対的に「悪者」にされるのはどちらでしょう?」

 

 

 

 

 

ね?わかったでしょ?

ぶっちゃけここまでは完全に蛇足ですが、

 

要介護者(老人・障がい者)=弱者

被介護者(介護職・医療職)=強者

 

の「当然当たり前」の図式にも、上の「男女」の逆パターンが当てはまります。

 

女性様と同じで「弱くて庇護されるべき弱者」であらせられる「高齢者/障がい者様」。

認知症や知的障害があれば尚更、「攻撃的だったり乱暴だったり手を出してしまうことは仕方がない」ことだと思われるかもしれませんがやられる方は堪ったもんじゃない!!のです。

 

考えてみてください。

性依存症の強姦魔がいたとしてそいつに貴女自身や、貴方の妻や娘が突然、路地裏に引きずり込まれてレイプされたとして、

 

「犯人は「性依存症」っていう病気なんだ。だから私(や、私の家族)がレイプされたのも仕方のないことなんだ(*´∀`*)」

 

なんて思えますか?

 

暴力を振るう側にどんな理由があったとしても、それは振るわれた方からしてみれば「知ったこっちゃない」ことなんじゃないでしょうか?

 

最近では、駅員さんへの「酔っ払い」やら「キレた高齢者」からの暴行が社会問題になっているそうですね。

 

何十万〜何百万もの利用客がいる都会の駅の中ではそういった「酔っ払って正常な判断のできる状態じゃない酔客」やら、「高齢化の影響で脳が萎縮しているのが原因/認知症状で理性・理屈の通じない老人」達が(今はまだ)、極少数いたとしても不思議ではありません。

 

ほかにも、警察官や消防士、救急隊員の皆さんが「この税金泥棒の公僕供があああっ」と自分たちが助ける対象から攻撃されたりとかすることも少なからずあるようです。

 

だけど、駅員さんだったら酔っ払いから殴られたり蹴られたりの暴行を受けたら酔っ払いに、「正当防衛」や「営業妨害」といった理由で抵抗できるし、警察官や消防士さんたちだったら公務執行妨害」や、「傷害罪」を適応して事態に対処することが出来ます。

 

医療職や介護職は、病院や介護施設、老人ホームといった、認知症高齢者、高次脳機能疾患、精神疾患といった「正常な理性/判断を働かせることが難しい状態」の人たちを相手にする専門職なので駅員さんが「酔っ払い」や「キレた高齢者」から暴力を受けるよりもそれに当たる比率は断然高いのです。

 

駅員さんや、警察官や消防士さんたちと、医療職/介護職ご利用者様、ご入居者様から暴力/暴行を受けた場合の異なる点は、

 

医療職/介護職は何をされても「抵抗できない」ところです。

 

 

 

 

 

 

 

親から虐待されて育った大人。[22]

輝かしき舞台のその裏

 

七月半ばから催されるサーカスの準備の時期に入ってくると状況はもはや、「孤立」ではなくて「敵対」になっていました。

その演目はサーカスといっても、演劇や音楽や演者と観客の境界線のない舞台の上に設けられた「舞台の中の舞台(実験劇場)」とでも呼ぶべき特別な枠組みの中で催されるものでした。

 劇場の構造上、たぶん日本国内で出来るのはここだけという凄いものでした。

 

本来の所属の会社(面接を受けたところ)にはもう、連絡して辞める旨を伝えていた(正確に書くと3ヶ月経って次の3ヶ月の更新をしないことに決めた)ので出勤して来てもやることがなにもありません。

 

技術部スタッフの普段の格好は、舞台裏の「黒子」らしく、黒の上下のジャージに足元は足袋(たび)に雪駄(せった)。

慣れないうちは(慣れないうちに終わったけど)足袋と雪駄が合わなくて足の指の間は血だらけになります。

だけど、その特別な催し物の期間中は、臨時で雇われている大勢いるアルバイトの人たち含め、サーカスの名前がプリントされた専用のつなぎがスタッフみんなに支給されていました。

 

 

自分以外には、

 

 

揃いのユニフォームを着て同じ目的に向けてせっせと忙しそうに働いているスタッフたち。

1人だけいつも通りの黒ジャージに雪駄でポツンと取り残されている自分。

 

たまに「なにこいつ?」的な視線を向けられる以外には完全に透明な存在になっていた上演期間の8日間。

 

袖幕の裏側のパイプ椅子に座ってフリーズしている自分。目の前を華やかな衣装を着て駆け回る演者やスケジュールに合わせて動き回るスタッフたち。

舞台からは鮮やかなライトの光や賑やかな音楽、観客の笑い声と演者達の戯けた掛け声。

惨めさと居たたまれなさMAX!!

 

数メートルも離れていないところで演奏されている地元出身アーティストのアコーディオンの大人びた調べが耳に届いてくるのですが、自分と外の世界は僅かに波打つ漆黒の分厚い壁(袖幕)で隔てられています。

 

まるで自分の人生そのまんまな状況。

外れていて浮いていて孤立している。

焦りと恐怖と不安だけがあって苦しくて苦しくて仕方がない。

 

怪力男のオクタゴン、黒マスクのジョー、可愛らしい花売り娘、宙を舞う軽業師。この上なく美しい世界にいながらまったくもって「無関係」な自分。

 

なにかもう物理的な重さを持ってのしかかってくる「挫折」と口の中の苦い味。

 

半年に満たない「劇場」での生活は文字通り漆黒の緞帳によってバッサリと音もなく言葉もなく幕を降ろしました。

 

“Confessio “

人生はクローズアップで見ると悲劇、ロングショットで見ると喜劇。

by チャールズ・チャップリン

 

 

ブログを開設してから約1年半。。

 

不平不満と妬み嫉みと恨み言ばかり書き連ねている、ネット界隈でも間違いなく劣悪な部類である当ブログ。

 

始めた頃は、月のアクセス数が20程度だったけど今ではだいたい月平均で3,000弱。累計で20,000アクセスを超えてきました。

それが多いのか少ないのかはわかりませんが。

 

FacebookTwitterInstagramやらのSNSはなに一つやっていないし、特に承認欲求が強いわけでもないつもりです。

 

なのになぜ、わざわざブログなんて書き綴っているのか?

自分のクソみたいな人生をわざわざ世界に向けて晒しているのは何故か?

 

全くの「虚無」に思えてならない自分の人生を振り返ってみたかったからです。

 

好き嫌いは度返しにしてそれでも(自他共に認められるくらいには)、「真剣」に取り組んでいる「介護職」という職業の問題点を改善したいと思っているからです。

 

たかが、地方のいち介護施設介護福祉士(パート職員)。人手不足やら職員間の軋轢やら会社の体質やらの諸々の事象で日々の業務すらままならないのに「マクロ」の視点で物事を考えるのは間違いだし不遜なのかもしれません。

 

悲観的な見方ですが、もうどう考えても立て直せない段階まで悪化(劣化)してしまっているのかもしれません。

それでも「理想」、「想い」、「やりがい」やらだけを掲げて空転し続けているこの業界を僕ははっきり言って蔑みきっています。

 

物事はなんであれ、土台を作って柱を建ててその上に屋根を乗せるべきなのに、土台も柱も欠陥品なのに(または出来てもいないのに)その上に乗せる屋根だけを装飾過多にしたがる介護業界、企業、職員の考え方はまるで理解できません。

 

現状ですらもう事実上破綻しているのに、その欠陥建築の崩れかけの堤防に直撃することがわかりきっている大きな大きな津波が襲いかかってきたら結果がどうなるのかは見なくてもわかります。

 

幾千幾万回繰り返されてきたくだらない「べき論」なのは自覚しています。

あまりにペシミズムに偏りすぎた考え方だということもわかっています。

自分は決して「意識高い系」じゃないしこの仕事が好きなわけでもありません。

だけど資格を持って「士職」として働いているからには、あらゆる方法、可能性を持って「改善していく、前に進んでいく」努力をする事は義務だと考えています。

 

 

たかだか30年弱の自分の人生は、振り返ってみても楽しかった時期がまるっきりありません。

人生語るにはまだ若造すぎるのだろうけど、ひたすら苦しくて辛くて逃げ出したかっためちゃくちゃに虐待されていた少年時代。

自分の居場所を持てたこともないし、人を愛し、人から愛されたこともありません。

そもそも人間嫌いだし苦手だし、輪の中に入れたこともないし「仲間意識」を持てたことがありません。

 自己肯定感皆無だし、成功体験ないし、上手に笑うことすら出来ません。自分にはたぶん「楽しい、嬉しい」を感じる機能がありません。

 よく「心が死んでる」という表現がされますが死んでる以前に「心が生まれなかった」気がします。

そのくせ、「孤独」と「絶望」には日々苛まれていて、「人から愛されたい愛したい」と思ってもどうすればいいかわからないし出来ません。

 

「てめーは太宰か、芥川でも読んでろよ」と思われそうですが、太宰読もうが芥川読もうが、ユング読もうがフロイト読もうが特に変わりありません。

V・E・フランクルの「夜と霧」は良かったけど。

 

恋人がいて、結婚していて、子供がいて当たり前の世代のはずなのに、そのどれ一つにも自分は指先で触れられたことすらありません。

人生周回遅れもいいとこです。

「底辺」で「負け犬」と言われてもなにも言い返せません。

書いてて、泣きたくなってきた笑笑

 

この職業を続けていてもこの先、なにかが「向上」する気がさらさらしません。

なにかもうただの泣き言になりつつありますがどうまとめてよいのかもわかりませんwww

 

だけど出来損ないの「欠陥人間」の僕は、支えてくれる人もいないし助けてくれる人もいないので歯を食いしばって這いながらでも前に進んでいくしかありません。

 

めっちゃしんどいなこれ....

 

親から虐待されて育った大人。[21]

奈落の底。

 

周りからのあたりが強くて、いつも地下の照明科の作業室で泣いていた先輩は突然辞めてしまいました。

 「笑えない」、「ご飯が食べられない」と呟いていてすごく心配していたのですが突然、技術部のリーダーのサラサラから、「◯◯(先輩)、当分休むから」と告げられてそれっきりでした。

 

 

季節は五月の半ばくらい、割と大規模に行われた地域ぐるみの大道芸人達のイベントの打ち上げの後に事務方の調整役のおじさんが飲酒運転で事故を起こして懲戒免職になりました。

地元のニュースや地方紙では報道されたのですがそれで劇場内はてんやわんや。。

 

七月半ばから始まる、数年に一度ずつ開演されている欧州からやってくるサーカス団の公演🎪🤡‼️

その後には、夏から秋にかけて催される国内最大クラスの音楽の祭典!!が控えていたとてもとても忙しい時期の出来事でした。

 それは地元最大のイベントで舞台や音楽に詳しくない人でも、「日本で一番有名な指揮者は誰?」と聞かれればほとんどの人が答えられる、間違いなく歴史に名を残す大御所中の大御所が登壇される舞台でした。

...身バレ位置バレなんのその。

 

勤めだして2ヶ月程度。もうすでに周りからは「使えないやつ」、「生意気なやつ」とレッテルを貼られていて孤立していた自分は唯一、あれこれ質問が出来たり邪険にされずに接してくれていた先輩がいなくなって本当に焦りました。笑笑

 

それに事務方の調整役の職員が突然、解雇されたので舞台も表側も大混乱!!

 

サーカスと音楽祭の間にも単発のイベントがいくつもいくつもありました。

ほとんどはバレエだったのでその演目用(だいたい「くるみ割り人形」)に舞台を作り変えなきゃいけません。

 

 

+一年で一番忙しい時期

+技術部と事務方から突然退職者

+周りからとてつもなく嫌われていて孤立している

+素人にかまっている(仕事を教えている)暇ない

 

で、周りが忙しそうにしていても何をしていいかわからないし、特にできることのない自分は完全に放置されて蚊帳の外。(指示もクソもない)

 

あれこれ周りに聴きながら荷物運びと掃除くらいしかやれることがありませんでした。

 

相変わらず茶髪からは事あるごとに怒鳴られなじられものを投げつけられたりしていて、茶髪の子分の音響や機構の連中からも同じ扱いでした。笑笑

 

 

そんなある日、

 

その日の演目はバレエのくるみ割り人形で(バレエはだいたい、「くるみ割り人形」、「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」の3つしか上演されません)舞台上は3つの場面転換に合わせて中割り幕で区切られていました。

 

演者の人たち(ほとんど女性)は場面に合わせて楽屋に戻って衣装変えをするのですが展開が早いので楽屋に戻っている暇がなくて急遽、簡易的に舞台裏に着替える場所が用意されました。

 

茶髪から「てめぇは今日明日(公演期間)」の間、絶対に裏側を通るな。通ったら殺すからな」と言い含められました。

 

その日の撤収(片付け)のとき、シフトの関係で先に帰っていて茶髪のいない時に、技術部の他の人たちと一緒に片付け作業を行っている時に茶髪と大の仲良しの機構科の先輩(通称:カナヅチ)から「僕、向こうの搬入口のシャッター締めてきて」と言われました。

 

指示された自分は「はい!」と答えてシャッターまで行こうとしたのですが、昼間の茶髪の指示が頭をよぎりました。

 

 

「今日明日の間、絶対に裏側を通るな」

 

 

なので、なんら意味のないことは承知の上で少し遠回りをしてシャッターを締めて戻ってきました。

 

カナヅチからは「なんで向こうのほう通ってったの?」と聞かれたのですが昼間、◯◯さん(茶髪)から指示されたのでと言うことを伝えると「ふーん...」と言われました。

 

翌日、

 

出勤して早々に茶髪に胸ぐらを掴まれて人気のないところに引きずられていった自分。

頭の中は「????」だったのですがなにやら茶髪はキレています。

なにやらかしたかな?と必死に考えを巡らせますが思い当たることがありません。「ふざけんなよ?喧嘩売ってんのか?」と言われても本当に身に覚えがありません。

 

自分には、全く理解できないことでしたが、その時に茶髪がキレていた理由はカナヅチから告げ口されたことで、「自分の指示だと言って無人の舞台裏を通らずに遠回りしてシャッターを締めに行ったこと」でした。

 

茶髪がバレエの公演中の間、自分に裏を通るなと言ったのは、「簡易的におもに女性の皆さんの着替え場所になっていたそこに男性スタッフが近づくのはまずいから」、だと言うことは当然理解していましたが、昨日の夜、片付けの時に無人だと分かりきっているそこを避けて通ったことが「喧嘩を売っている」とみなされたことによるものでした。

 

理解できませんでした。

「通ったら殺す」とまで言われた上司の指示をただ守ったことを、そもそも告げ口されてわけのわからない捉えかたをされて胸ぐら掴まれて吊し上げられる。

 

ここに来て、「あっ、もうここいいや」と思った自分は完全にやる気を失いました。

 

 

一事が万事こんな感じ。

 

ダンボールを紐で縛って捨てた時は、縛っていた紐が緩かったといわれ、「それはつまりお前が仕事の手を抜いているということで俺たち(技術部のスタッフ)を舐めて馬鹿にしていると言うことだな」と機構科のおかっぱ頭のおっさんに怒鳴られ、工作機械だらけの機構の製作室(無人)の床に散らばった木屑を箒とちりとりで片付けていた時には集めたゴミを邪魔だと蹴り飛ばされてブチまけられ....なにかもう指導とか修行じゃなくてこれってもうただのイジメだよねという有様に陥りました。

 

家から劇場までは自転車で15分程度、近かったので車で通勤することもなく毎日自転車で通っていたのですが、その頃にはもう仕事に行くのが嫌で嫌でたまらなくて毎朝起きて吐いて、朝食を食べて吐いて家を出て職場に向かうもつくのが嫌だからものすごく遠回りして行ってついてもお腹が痛くてトイレに篭って、とにかく時計とにらめっこをして終わらせて帰ることだけを考えていました。

 

辞めていった先輩の「笑えない」、「ご飯が食べられない」がいつの間にか自分のことになっていました。