孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

死に方の決め方。①

 

「人間は魂の心の 意思の 生き物だ」

byドイツ第三帝国 NSDAP私兵集団

武装親衛隊吸血鬼化装甲榴弾兵戦闘団

「最後の大隊」少佐

 

ピーポーピーポー

ピーポーピーポー

 

施設長「かくかくしかじか。」

 

救急救命士さん「がってんしょうち!」

 

ピーポーピーポー

ピーポーピーポー

 

 

僕「最近多いね、救急搬送」

 

同僚「そーだね。特に誤嚥したわけでも転倒したわけでもないけど、熱発したり意識消失したりで運ばれる人がすごく多い」

 

僕「冬だからね、ここは寒冷地だし1、2月なら最低気温がマイナス二桁なのもザラだし、浴室や脱衣場でヒートショックっつって亡くなる人も珍しくないからね」

 

同僚「雪はあんまり降らないんだけどね」

 

僕「昨日まで隣の席に座ってた人が次の日になったら居なくなってる...「あの人どうしたの?」って聞かれるとちょっと答えづらいよね」

 

同僚「入居した時には元気に歩いていた人が、だんだん歩けなくなって車椅子になってベットから起き上がれなくなって最後には.... 元々病院勤務だった僕は慣れてるの?」

 

僕「老健にいた時も病院にいた時も確かに亡くなる人は大勢いたよ。この仕事してりゃ遭遇するのは当たり前。やり始めの頃は確かに手が震えたり泣いたりもしたけど最近じゃ、もうそんなにダメージないかなぁ」

 

同僚「さすが冷血人間やな」

 

僕「よく言われるよ。産まれてきて生きて死ぬ。当たり前のことだからね。俺らはその「死」の部分の領域に、二番目か三番目に近いところで働いているんだから」

 

同僚「うちに入所してきた人の中で最初は「どんな状態でも生きていたい」っつってたじい様が、周りの認知症や寝たきりの人たちの様子を見て知って「もし俺が倒れたら、延命とかはしないでくれ」に切り替えてたよ」

 

僕「言い方悪いけど、何もかもわからなくなって奇声あげながら徘徊してそこら辺でズボンやパンツ下ろしてウンチしたり、半死半生のままベットで寝たきりになってる人を実際に目の当たりにしたら自分がこうなりたい!って思う人はなかなかいないだろうからね。自分や自分の身内に置き換えて考えてごらんよ」

 

同僚「.........確かに。自分の親や配偶者や子供や兄弟なら「とにかく生きていてほしい」と思わなくもないけれどもしも自分自身だったら....自決の道を考えなくもないよね」

 

僕「人生の最後や所謂「死に方」を徹底的に忌避する気持ちもよくわかるけどいざ「その時」を迎える前にやっぱりしっかり考えておいた方がいいと思うんだよね。終活ってやつ?」

 

同僚「その為にはいろいろ知っておいた方がいいことはたくさんありそうだね」

 

僕「最近じゃ「終活アドバイザー」とかいう如何わしい資格もあるみたいだしね」

 

同僚「誰もがPPK(ピンピンコロリ)というわけじゃないし、そもそもそんな人滅多にいない。俺たちが今まで見てきた数百人の老人たちの中でも両手の指の数はいなかったな」

 

僕「自分らの世代からじゃ想像もつかないような、貧しい時代や戦争体験、経済成長の時代を生き抜いてきた人たちなんだから、人生の最後くらいは満足に過ごして逝ってほしいものやね」

 

同僚「その「満足」を、満たすための「源泉」がどこから出てくるのかが問題なんだけどね」

 

僕「今回はそこらへんはよそう」