アラサー介護の戯言ブログ。

「もう綺麗事は聞き飽きた」そんなあなたへ...

親から虐待されて育った大人。②

 

子供は親を選べない。

 

 

 交通マナーの悪さで有名なわりと寒冷地にある地方都市の生まれ

 子供の頃の自分の家族は地方公務員の父、パートやらなんやらで働いたりなかったりの母、父親方の祖父母、三つ下の妹、五つ下の弟に自分の七人家族でした

 

父親は24時間勤務の仕事をしているせいか殆ど家にいるのを見た覚えがありませんでした

 

僕の人生の中で最大のトラウマかつ最大の問題だったのが「母親」。

 これでも、いくつかの業種の仕事をしてそれぞれでいろんな人種と関わってきたけれどこれより「酷い」人間を僕は知りません

 

 今風の言い方をすれば「毒親」。

 本物のサイコパスを見たことがある人はそう多くはないと思いますが自分はソレに育てられました

 

自分の覚えている最初の記憶は、母親に両手をタオルで縛られて家の中をひきずりまわされて泣き叫んでいる場面です 当時の状況や家の中の景色からして1、2歳の頃だったような気がします

 

暮らしていた家は一軒家の二階建てで一階に台所やら風呂場やら祖父母の部屋があり祖父母は一階で生活。

 二階に両親や自分たちの部屋がある二世帯住宅でした

 

両親ともに一人っ子だったからか(当時、珍しいことをしりませんでした)普段は父方の両親と同居していた母親は市内にある自分の実家にそれはしょっちゃう帰っていました(週に3〜4回程度) 

自分たち兄弟からすると大好きなおじいちゃんおばあちゃんの家にしょっちゅう遊びに行けるので嬉しかったのです

 

母親は結婚するときに、父親の家(嫁ぎ先)に借金があったことを知らされずに結婚したらしくて「自分は騙された」、「売られた」だのとずっとずっと自分の両親に言っていたのだそうです。

 今思えば最初の最初から強い憎しみを持っていたのかもしれません

 

自分はいつも同居していた父方の祖母に預けられていて両親は共働きでした。

 いつもおばあちゃんが一緒に遊んでくれて一緒にご飯を食べていたのをなんとなく覚えています

 

そんな自分が普段、関わることのない母親と接するのは「三歳児ランド」(?)とかいう名前だった幼児の塾的なところに行く時だけでした

幼児の足ではそこそこ距離のあったような気がした駅前にある情操教育機関?的なところでした

今でいう鈴木メソードやECCジュニアみたいな...

 

同じ歳くらいの子供が集められて一緒に遊んだり先生から出される課題をやったり、楽器を演奏したり宿題を出されたり...それを後ろから保護者が見守っている...みたいな雰囲気だったのを覚えています

 

ただ、自分は本当に出来が悪かった。他の子達がすんなりこなす課題をいつまでも出来ずにグズグズやっていたり、じっとしていなきゃいけないときに動き回ったりと、とにかく浮いている子供でした

 

当時から協調性皆無だった自分はきっと、友達もいなかったし何やっても出来ないし楽しくないから、そこに行くのが嫌だったし、この塾の行き帰りに「どうして他の子が出来ることがお前には出来ないんだ!」、「恥をかかせるな」とキレて怒鳴り散らしながら前を歩く母親の後ろを泣きながら追って歩いていた記憶しかありません

 

もういい大人の今ならわかるけど典型的な発達障害ADHD気質のこどもでした

 

外で遊ぶよりも家の中で一人で積み木やレゴブロックで遊んでいたり本を読んでいるのが好きなこどもでした

 

普段家にいない父親や、父親の目の届かないところで自分たち兄弟にめちゃくちゃに暴力を振るう母親のことは怖くて怖くてしょうがなかったのでいつもおやつをくれたり、母親の虫の居所が悪いときにいつも逃げて行っていたおばあちゃんのことが大好きでした

 まだ世の中には「虐待」なんて単語はぜんぜん浸透していない頃でした

 

今でもおばあちゃんは、なんとなくドラえもんに出てくるのび太のおばあちゃんのような印象を持っています

 

はじめに書いた母親に家の中を手足を縛られて引き摺り回されて泣き叫んでいたときも、おばあちゃんが出てきて「◯◯さん(母親)、自分の子供殺すような真似やめてもらえねーか」と言って助けてもらったのを覚えています

 これが母親の逆鱗に触れたらしく、わけのわからないことを怒鳴り散らしまくってそれから母親は目に見えておばあちゃんに冷たく当たるようになりました。冷たくというより、はっきりとイジメでした

 なんでも黙って耐えるタイプだったおばあちゃんは何も言いませんでした。  24時間勤務の父親は普段は家にいないのでなにも知らないし気づきませんでした

 

出勤、明け、休み。

 父親の仕事はこのローテーションだったのでいつも父親の「出勤」の日は母親から抑制が外れるのでぼくたち兄弟は本当に嫌で嫌で堪りませんでした。