5歳年下の弟。
勉強はあんまりできなかったけどまぁまぁ背が高くてがっしりした大きな身体 誰にでも優しい子で合気道の黒帯! 部活動だかサークルだかでテニスをやっていたスポーツマンで、クラスでも人気者!!
中学時代、底辺陰キャで運動音痴でスクールカースト下層民の兄とは真逆のタイプ。
だけど間違いなく母親から一番長く一番痛めつけられていたのは彼でした
要領よく振舞ってなるべくじぶんはダメージを与えられない位置をキープしていた妹や、怪我と流血は一番多かったけど反抗的だった自分とは違い、末っ子なせいか一番強く支配されて一番そばに縛り付けられていたのも彼でした
中・校生時代になると殆ど家に居ることのなかった妹や学校から帰って来るとすぐにバイトに向かうじぶんがいなくなると家には祖母と母親と弟が取り残されます
同じ家に住んでいても祖母と自分たち兄弟の接触を禁じていた母親によって(口をきくことも許されていませんでした)家にいてもおばあちゃんと弟は接触出来ません
おばあちゃんはいつも「私が口を出すと私のいないところでお前たちが痛めつけられる」と言っていました
妹とじぶんがいなくなると父親の勤務の日には事実上弟は母親と二人きりになってしまいます
「手伝い」やら「肩揉み」やらで縛り付けられているのはまだいい方で誰の目も届かないところでどんな目にあわされていたかははっきりと想像できました。
どうにか続けさせてもらえていた習い事の合気道も事あるごとに「辞めさせるぞ」と脅され重箱の隅をつついて母親からの吊るし上げの材料にされていました。
じぶんがアルバイトに向かうために玄関で靴を履いているといつも寄ってきて、「地獄の時間だ」と言って泣いていました
自分と違って立派な体つきで自分と違って人気者の弟がメソメソメソメソ、ウジウジウジウジ。。
居た堪れなくて居た堪れなくて、 しかたありませんでした
じぶんが家に居る時なら、やられている時に割って入って代わりに殴られてやるくらいのことは出来ましたが不在の時はどうしようもありませんでした
じぶんは一番上で長男なのに下の妹や弟を守ってあげることが殆ど出来ませんでした
ぼくたち兄弟は親から(母親から)受ける虐待でレイプされる以外のことは全て受けてきた。今でもはっきりとそう思っています
自分と妹はなんとか公立高校に入学しましたがそれが難しかった弟は(成績的なこと含め)それを槍玉に挙げられて本当に痛々しいほど痛めつけられていました
その頃の母親は、突然奇声をあげて叫び出す、夜中に突然喚き散らす、ふつうに立ったり歩いていたのに急に倒れるなどなど、今までと違うオカシさを発揮しだしていました。
もうなにが起こってもなにも感じなくなっていたじぶんは「そのままあらん限り苦しんで、のたうちまわって死んでくれればいいのに」と思っていました。
外の世界の事はほとんどなにも知らなかったじぶんは「これ以上酷くなることはないだろう」と常々思っていたのですが自分の知らないところですぐ近くで、気付かないうちに大きな大きな爆弾の導火線に火がついていたことを目の前に叩きつけられることになったのはこの直ぐ後のことでした。