孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

親から虐待されて育った大人。[15]

「私が求めるのは信仰心と忠誠と従順さと信頼と有無を言わさぬ完全なる献身だけです。」  オルゾフ組  贖罪の高僧

 

 

グレゴリオ暦

大の月 七ヶ月 小の月 五ヶ月

(2月(28日or29日含む))

 

1日は24時間

1月は744時間

1年は8,760時間

 

朝から晩までみっちりと働いていたわけではなかったけれどとにかく拘束時間が長かった市場。

品物の積み下ろしやトラック待ち、送り状待ちにオーダーの遅れや変更、人手不足の中で莫大な品物を右から左へ動かしていくのでそれはそれは大変でした。

 

1〜2月はイチゴ、ミカン、林檎

3〜4月は主にイチゴ、柑橘系

5〜6月は国産メロンと輸入果実

7〜8月はスイカ、プラム系

9〜11月はブドウ、林檎、梨、柿、洋梨

12月は林檎、イチゴ...

 

細かいのを入れていくと、きりが無いので端折りますが一年を通しての市場に流通する果物の流れはざっとこんなものでした。

 

カレンダー上は休みの日でも営業職はほとんど出勤。身体が空くのは土曜日の午後から日曜の午前中と、たまにある市場休の水曜日の午前中と前日の火曜日の午後のみ。丸一日の休みが(ほぼ)無かったのでどこかに遊びにいくとか旅行に行くということは全く不可能でした。

 

ベテランの上司の中には余りに働きすぎるため、奥さんから愛想を尽かされて離婚している人も少なくありませんでした。

 

一年程度の本社での研修を終えて自分の所属の支店に配属されてからは、日の出の前に出勤して20時前後に帰宅。場合によってはテッペンに近いときもありましたが数時間寝てまた会社へ....という生活を3年弱つづけました。

 

ブラック企業の常で実際に「労働時間」にカウントされているのは働いている時間の半分くらいで残りはサービス残業。父親に言われてほんとうの働いていた時間は自分できっちり書き留めていたのですが一ヶ月間の労働時間の平均は340時間程度。繁盛期には400時間を超えることもありました。法律、過労死なんのその!

信じられないと思いますが事実でした。

ワークライフバランス?なにそれ?美味しいの?

 

「シャカイジン」になって初めて勤めた会社で、睡眠時間以外の生活は90%以上が「会社」一色だったのでおかしいと思う暇もありませんでした。とにかく品物と、あらゆるノルマと数字に追われる日々で、毎月開かれる「営業職担当者会議」で吊るし上げられない為に必死に働いていました。

「命をかけて会社に献身しろ」と、そのままリアルに口にする老害お爺ちゃんたちが支配する、県内随一の老舗企業だったので大変だの忙しいなんて思っている暇はありませんでした。

 

 新卒のぺーぺーが大した品目を任せられることもなく、ほとんどは大品目を扱う自分が「てこ」を務める上司の補佐がメインでしたが....

 

支店に配属された始めの頃、まだ輸入品担当じゃなかったとき、蔬菜部という、ようは野菜販売部門にいたときに直属の上司になったT氏。

本社から送られてきた大ベテランで気性の荒さと凶暴さと酒乱っぷりで有名な人でした。年の近かった先輩から「お前、死んだな。」と謎のメッセージを頂いていた理由はすぐにわかりました。

もうすでに、ぶん殴られて歯を一本無くしていたのですが、この人もとにかく物を投げる、蹴り飛ばす、ひっくり返す系の人で、とんでもない俺様人間!!

それでも、部下の面倒見はよかったのかよく飲みに連れて行って貰ったし、若い社員の中には崇拝しているヤツも珍しくありませんでした。

 

「俺は昔、ヤ◯ザに金貸しにならないかと誘われたことがある」

 

というのをなによりも誇りにしていた人でした。お気に入りの事務の若い女性社員を侍らせていて、しょっちゅうあった飲み会の後にはいろんなところに連れて行ってもらいました。キャバクラにスナック、違法くさい風俗店....

 この会社では事務の女子社員たちは誰もが「力のある男」のある種、愛人的ポジションに収まって場合によってはそのまま結婚する流れが主流だったようです。男は人生の大半を仕事に拘束されるこの企業の中ではそれしか結婚相手を見つける術がなかったみたいでした。

ガテン系DQNとキラキラギャルの相性のイイこと。

女ってつくづく恐い生き物だなってたっぷり教えて頂けました。