目が覚めた。
薄っぺらいカーテンの外側の空の色から鑑みるに、今はまだ真夜中らしい。
朝なのか昼なのか夕方なのか夜なのか、春なのか夏なのか秋なのか冬なのかわからない。
何故今、ここにいるのかがわからない。
自分が今どこにいるのかがわからない。
自分が今何をしているかがわからない。
自分が今、何をすればいいのかがわからない。
股間の周りのベチャッとした感覚。濡れて冷たくなっているズボンとシャツの感覚。室内に充満する便臭と尿臭、寝返りをする気力もなく、頭の横にあるナースコールに手を伸ばす気力もない。そもそも身体が動かない。
五分経ったのか、1時間経ったのか、5時間たったのかがわからない。
乱暴に開けられるドアの音、誰かが室内に入ってきた足音。布団がまくられて、その誰かの発したらしい「チッ」っという舌打ちの音が耳に届く。
仰向けになっていた身体を壁の方に強引に向かされて、ズボンが引きずり下ろされる。ビリビリパリパリという音とスースーする股間。熱い湿った布の感触。何をされているのかがわからない。
一瞬の振動と浮遊感。横たわっていた身体はイスに座らされていた。曲がらない動かせない腕を強引に引っ張られて服の袖が外される。新しい布の感触があって身体のそこかしこをまさぐられている感覚。いま、何をしているのかがわからない。
きゅうに動き出す景色。
通り過ぎた洗面台の鏡には誰か知らない惚けた無感情な顔をした、目ヤニとヨダレが染み付いた年老いた醜い男が写っていた。あれは誰だ?
生暖かい空気に満たされた騒々しい場所に連れてこられた。ここが何処なのかわからない。五分経ったのか1時間経ったのかわからないが、気がつくと目の前の台の上に、まるでパレットの上にぶちまけられた絵の具のようなドロっとした白と緑と茶色をした物体が乗せてあった。
ガチャガチャかちゃかちゃと金属と陶器の触れ合う音。なんの音かわからない。
誰かが隣に座っていて目の前のドロっとしたものを自分の唇に押し付けている。うっすらと口を開けると生暖かい、なんの味なのかわからない何かが口の中に押し込まれ、反射で喉の奥に流し込まれ下っていった。
何をしているのかわからない。
味ってなんだったっけ?
どのくらいの時間かはわからないがその行為が何度も繰り返され遠くから誰かの声がして隣にいる誰かが立ち去ると、今度は別の誰かが小さな白い粒を持ってやってきた。
口に入れようとして、床に落とし拾ってまた口に入れようとしてまた溢れ落ちた。粘り気のある液体が口に満たされて喉の奥に消えていった。いま何をしているかがわからない。
何かを引きずる音と誰かの叫び声。それに応える怒声と駆け回る靴の音。
何か棒状の先の柔らかいものを口に突っ込まれて、そのあと振動と空気の動く感触。気がつくてまた、知らない景色の場所にいた。
無理やり出しているのがありありとわかる猫撫で声で、無気力な知らない老人たちの円の中央に立つ中年男性が、腕やら足をあらぬ方向に振り回している。それを見てその動作を模倣する老人たちと無表情でそこに座っている老人たち。突然叫びだして走りだした老婆を慌てて中年男性が追いかけて元の場所まで連れて戻ってくる。
なにをしているかわからない。
30分経ったのか1時間経ったのかわからないが気がつくと、乾いて黄色い染みのついたシーツの上に身体が横たえられていた。ドアの音がして誰かが室内を覗き、「今日は◯◯さん、お風呂入らなくていーや。朝、更衣したし。」と知らない誰かの名前が語られ、ドアの閉じる音がした。
なにを言われているのかわからない。
暑くも寒くもない、空気の動かない部屋の中でひたすら壁を見つめ、定期的に運ばれ、置かれ、戻されを繰り返される。誰からも話しかけられることもないし、誰にも話しかけることがない。口というのが何の為にあるものなのかを忘れてしまった。
部屋の明かりを消されあたりが闇に包まれる。5分後か12時間後かわからない、この場所に横たわってからとおり過ぎた2844回目の明日か今日が、いつの間にか始まって終わる。