孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

親から虐待されて育った大人。[19]

幕が、上がる。

 

翌年の四月一日

新しい職場での勤務がスタートしました。仕事の内容は....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劇場の舞台の裏方、舞台照明💡‼️

 

あれこれ考えた結果、「商人」→「職人」への転向を決めました!

 

地元には、かなりハイレベルな大きな劇場があって(劇場という名前は付いていないけど)そこの舞台裏、技術部門の舞台照明科に配属されることになりました!

自分の本来の所属は面接を受けた民間企業なんだけど、そこから「委託職員」というかたちで、その公共施設であり◯◯芸術財団管轄の劇場の職員として勤めることになりました。

 

前職の市場のバイヤーとはなんの接点もありません。

 それどころか本当にただ「興味があったから」という理由だけで面接を受けに行ってきたら、自分の前に五人くらいスーツを着た男性が面接の順番待ちをしていて自分の順番は最後だったのだけど「求人一名」のところを合格してしまったのです!

 

ポンコツだけど、外面と第一印象だけは「真面目そう」、「頭良さそう」と言われて圧倒的に有利な僕は「なんの知識も技術もないけどヤル気はあります!」の一点突破で採用していただきました。

これが人生最大の地獄の始まりだとも知らずに

 

 

場面は戻って四月一日

新入職員の挨拶をそこの事務所で行った時も「前職は市場で営業を務めていました!これから一生懸命頑張ります!」とか当たり障りないことを言っていたのですが他にもニ、三人いた他の新人の人たちは...

 

「◯◯美術大学で◯◯を専攻していました!よろしくお願いします」とか

 

アメリカの◯◯で、◯◯をしていて帰国しました!経験を生かして頑張ります!」とか

 

もう本当に自分の場違い感ハンパない。

((((;゚Д゚)))))))

 

だけど、面接の時にも、事前に来た職場見学の時にも「ど素人だけど頑張ります!よろしくお願いします」と言ったら「うむ、やりながら学べば大丈夫だから頑張りたまえ」と、劇場の「総支配人」とか「芸術監督」とかいうとんでもない肩書きの人たちから激励されたんだし、一生懸命努力してやれるだけのことは必死にやろう!と当時、二十代の半ばだった自分は思っていました。

 

「文化、学問、自然、芸術」とかを売りにしている地元は、そこそこの観光地でその観光名所の中でもいくつかある「目玉」の一つであったその劇場。

 毎年、国内のその筋ではかなり有名な「音楽祭/オペラの上演」が催されていたり、ガチで一流の歌舞伎俳優が出張って来て「公演」を行ったり、おフランスからサーカス団がやってきたり「市民劇団」なるものがあったりする、よーするに「意識高い系文化都市」でした。

 

その「街の顔」ともいえる施設になんの知識も技術もないままに気軽に飛び込んだ自分。「これから頑張れば大丈夫!」と考えていたのですがどーなることやら、、