孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

親から虐待されて育った大人。[21]

奈落の底。

 

周りからのあたりが強くて、いつも地下の照明科の作業室で泣いていた先輩は突然辞めてしまいました。

 「笑えない」、「ご飯が食べられない」と呟いていてすごく心配していたのですが突然、技術部のリーダーのサラサラから、「◯◯(先輩)、当分休むから」と告げられてそれっきりでした。

 

 

季節は五月の半ばくらい、割と大規模に行われた地域ぐるみの大道芸人達のイベントの打ち上げの後に事務方の調整役のおじさんが飲酒運転で事故を起こして懲戒免職になりました。

地元のニュースや地方紙では報道されたのですがそれで劇場内はてんやわんや。。

 

七月半ばから始まる、数年に一度ずつ開演されている欧州からやってくるサーカス団の公演🎪🤡‼️

その後には、夏から秋にかけて催される国内最大クラスの音楽の祭典!!が控えていたとてもとても忙しい時期の出来事でした。

 それは地元最大のイベントで舞台や音楽に詳しくない人でも、「日本で一番有名な指揮者は誰?」と聞かれればほとんどの人が答えられる、間違いなく歴史に名を残す大御所中の大御所が登壇される舞台でした。

...身バレ位置バレなんのその。

 

勤めだして2ヶ月程度。もうすでに周りからは「使えないやつ」、「生意気なやつ」とレッテルを貼られていて孤立していた自分は唯一、あれこれ質問が出来たり邪険にされずに接してくれていた先輩がいなくなって本当に焦りました。笑笑

 

それに事務方の調整役の職員が突然、解雇されたので舞台も表側も大混乱!!

 

サーカスと音楽祭の間にも単発のイベントがいくつもいくつもありました。

ほとんどはバレエだったのでその演目用(だいたい「くるみ割り人形」)に舞台を作り変えなきゃいけません。

 

 

+一年で一番忙しい時期

+技術部と事務方から突然退職者

+周りからとてつもなく嫌われていて孤立している

+素人にかまっている(仕事を教えている)暇ない

 

で、周りが忙しそうにしていても何をしていいかわからないし、特にできることのない自分は完全に放置されて蚊帳の外。(指示もクソもない)

 

あれこれ周りに聴きながら荷物運びと掃除くらいしかやれることがありませんでした。

 

相変わらず茶髪からは事あるごとに怒鳴られなじられものを投げつけられたりしていて、茶髪の子分の音響や機構の連中からも同じ扱いでした。笑笑

 

 

そんなある日、

 

その日の演目はバレエのくるみ割り人形で(バレエはだいたい、「くるみ割り人形」、「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」の3つしか上演されません)舞台上は3つの場面転換に合わせて中割り幕で区切られていました。

 

演者の人たち(ほとんど女性)は場面に合わせて楽屋に戻って衣装変えをするのですが展開が早いので楽屋に戻っている暇がなくて急遽、簡易的に舞台裏に着替える場所が用意されました。

 

茶髪から「てめぇは今日明日(公演期間)」の間、絶対に裏側を通るな。通ったら殺すからな」と言い含められました。

 

その日の撤収(片付け)のとき、シフトの関係で先に帰っていて茶髪のいない時に、技術部の他の人たちと一緒に片付け作業を行っている時に茶髪と大の仲良しの機構科の先輩(通称:カナヅチ)から「僕、向こうの搬入口のシャッター締めてきて」と言われました。

 

指示された自分は「はい!」と答えてシャッターまで行こうとしたのですが、昼間の茶髪の指示が頭をよぎりました。

 

 

「今日明日の間、絶対に裏側を通るな」

 

 

なので、なんら意味のないことは承知の上で少し遠回りをしてシャッターを締めて戻ってきました。

 

カナヅチからは「なんで向こうのほう通ってったの?」と聞かれたのですが昼間、◯◯さん(茶髪)から指示されたのでと言うことを伝えると「ふーん...」と言われました。

 

翌日、

 

出勤して早々に茶髪に胸ぐらを掴まれて人気のないところに引きずられていった自分。

頭の中は「????」だったのですがなにやら茶髪はキレています。

なにやらかしたかな?と必死に考えを巡らせますが思い当たることがありません。「ふざけんなよ?喧嘩売ってんのか?」と言われても本当に身に覚えがありません。

 

自分には、全く理解できないことでしたが、その時に茶髪がキレていた理由はカナヅチから告げ口されたことで、「自分の指示だと言って無人の舞台裏を通らずに遠回りしてシャッターを締めに行ったこと」でした。

 

茶髪がバレエの公演中の間、自分に裏を通るなと言ったのは、「簡易的におもに女性の皆さんの着替え場所になっていたそこに男性スタッフが近づくのはまずいから」、だと言うことは当然理解していましたが、昨日の夜、片付けの時に無人だと分かりきっているそこを避けて通ったことが「喧嘩を売っている」とみなされたことによるものでした。

 

理解できませんでした。

「通ったら殺す」とまで言われた上司の指示をただ守ったことを、そもそも告げ口されてわけのわからない捉えかたをされて胸ぐら掴まれて吊し上げられる。

 

ここに来て、「あっ、もうここいいや」と思った自分は完全にやる気を失いました。

 

 

一事が万事こんな感じ。

 

ダンボールを紐で縛って捨てた時は、縛っていた紐が緩かったといわれ、「それはつまりお前が仕事の手を抜いているということで俺たち(技術部のスタッフ)を舐めて馬鹿にしていると言うことだな」と機構科のおかっぱ頭のおっさんに怒鳴られ、工作機械だらけの機構の製作室(無人)の床に散らばった木屑を箒とちりとりで片付けていた時には集めたゴミを邪魔だと蹴り飛ばされてブチまけられ....なにかもう指導とか修行じゃなくてこれってもうただのイジメだよねという有様に陥りました。

 

家から劇場までは自転車で15分程度、近かったので車で通勤することもなく毎日自転車で通っていたのですが、その頃にはもう仕事に行くのが嫌で嫌でたまらなくて毎朝起きて吐いて、朝食を食べて吐いて家を出て職場に向かうもつくのが嫌だからものすごく遠回りして行ってついてもお腹が痛くてトイレに篭って、とにかく時計とにらめっこをして終わらせて帰ることだけを考えていました。

 

辞めていった先輩の「笑えない」、「ご飯が食べられない」がいつの間にか自分のことになっていました。