孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

“Confessio “

人生はクローズアップで見ると悲劇、ロングショットで見ると喜劇。

by チャールズ・チャップリン

 

 

ブログを開設してから約1年半。。

 

不平不満と妬み嫉みと恨み言ばかり書き連ねている、ネット界隈でも間違いなく劣悪な部類である当ブログ。

 

始めた頃は、月のアクセス数が20程度だったけど今ではだいたい月平均で3,000弱。累計で20,000アクセスを超えてきました。

それが多いのか少ないのかはわかりませんが。

 

FacebookTwitterInstagramやらのSNSはなに一つやっていないし、特に承認欲求が強いわけでもないつもりです。

 

なのになぜ、わざわざブログなんて書き綴っているのか?

自分のクソみたいな人生をわざわざ世界に向けて晒しているのは何故か?

 

全くの「虚無」に思えてならない自分の人生を振り返ってみたかったからです。

 

好き嫌いは度返しにしてそれでも(自他共に認められるくらいには)、「真剣」に取り組んでいる「介護職」という職業の問題点を改善したいと思っているからです。

 

たかが、地方のいち介護施設介護福祉士(パート職員)。人手不足やら職員間の軋轢やら会社の体質やらの諸々の事象で日々の業務すらままならないのに「マクロ」の視点で物事を考えるのは間違いだし不遜なのかもしれません。

 

悲観的な見方ですが、もうどう考えても立て直せない段階まで悪化(劣化)してしまっているのかもしれません。

それでも「理想」、「想い」、「やりがい」やらだけを掲げて空転し続けているこの業界を僕ははっきり言って蔑みきっています。

 

物事はなんであれ、土台を作って柱を建ててその上に屋根を乗せるべきなのに、土台も柱も欠陥品なのに(または出来てもいないのに)その上に乗せる屋根だけを装飾過多にしたがる介護業界、企業、職員の考え方はまるで理解できません。

 

現状ですらもう事実上破綻しているのに、その欠陥建築の崩れかけの堤防に直撃することがわかりきっている大きな大きな津波が襲いかかってきたら結果がどうなるのかは見なくてもわかります。

 

幾千幾万回繰り返されてきたくだらない「べき論」なのは自覚しています。

あまりにペシミズムに偏りすぎた考え方だということもわかっています。

自分は決して「意識高い系」じゃないしこの仕事が好きなわけでもありません。

だけど資格を持って「士職」として働いているからには、あらゆる方法、可能性を持って「改善していく、前に進んでいく」努力をする事は義務だと考えています。

 

 

たかだか30年弱の自分の人生は、振り返ってみても楽しかった時期がまるっきりありません。

人生語るにはまだ若造すぎるのだろうけど、ひたすら苦しくて辛くて逃げ出したかっためちゃくちゃに虐待されていた少年時代。

自分の居場所を持てたこともないし、人を愛し、人から愛されたこともありません。

そもそも人間嫌いだし苦手だし、輪の中に入れたこともないし「仲間意識」を持てたことがありません。

 自己肯定感皆無だし、成功体験ないし、上手に笑うことすら出来ません。自分にはたぶん「楽しい、嬉しい」を感じる機能がありません。

 よく「心が死んでる」という表現がされますが死んでる以前に「心が生まれなかった」気がします。

そのくせ、「孤独」と「絶望」には日々苛まれていて、「人から愛されたい愛したい」と思ってもどうすればいいかわからないし出来ません。

 

「てめーは太宰か、芥川でも読んでろよ」と思われそうですが、太宰読もうが芥川読もうが、ユング読もうがフロイト読もうが特に変わりありません。

V・E・フランクルの「夜と霧」は良かったけど。

 

恋人がいて、結婚していて、子供がいて当たり前の世代のはずなのに、そのどれ一つにも自分は指先で触れられたことすらありません。

人生周回遅れもいいとこです。

「底辺」で「負け犬」と言われてもなにも言い返せません。

書いてて、泣きたくなってきた笑笑

 

この職業を続けていてもこの先、なにかが「向上」する気がさらさらしません。

なにかもうただの泣き言になりつつありますがどうまとめてよいのかもわかりませんwww

 

だけど出来損ないの「欠陥人間」の僕は、支えてくれる人もいないし助けてくれる人もいないので歯を食いしばって這いながらでも前に進んでいくしかありません。

 

めっちゃしんどいなこれ....