孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

小夜曲(セレナーデ)

 

 

まったく見ず知らずの坂だらけの街に出張でやってきて一週間弱。

通勤に歩くだけでキツい。。

 

ここ2ヶ月の間に半月ごとに4ヶ所の支店を廻る。

それぞれ、60〜75人程度の入居者を抱える中規模の施設をグルグル廻る。

 

いく先々で、利用者と職員の顔と名前、座席に居室、勤務内容やシフトのパターン、それぞれのADLにカルテの記載の仕方が微妙に違うのを、人手不足過ぎてろくに指導も教えてももらえないまま行き当たりばったりで覚えて業務にあたる。

 

「誰にでも出来る底辺職」の介護は意外と覚えなきゃいけないことが多いしその幅と種類と深さと変動の度合いがすごく大きくて速い。

 

半月程度でそれぞれの施設の業務内容と利用者について学んで当たることは不可能に近い。

ただ、俺の性能の低さが問題なのかもしれないけれど....

 

覚えるの速いと言われようが経験あるから助かると言われようが到底、満足いく働きが出来ていると思えないしどこか自分の知らないところで周りに迷惑をかけていないか不安になる。。

 

出鱈目に動き回る認知症や、やたらめったらナースコールを連打してクソどうでもいい要求を繰り返す傲慢で身勝手な、1秒も待てない老人たちの前に跪き、靴を履かせ脱がせ、服を着せ脱がせ、撒き散らす糞便を片付け、風呂に入れて、オムツを替えて、食事を配り、部屋を掃除しゴミを回収してベットに臥床する。

罵倒され、手を挙げられ、怨みをぶつけられながら。

手取り16,7万でこれ程までに酷使されなきゃいけないことに疑問を感じつつ、三年勤めててもパートのままで、家にも帰れずに出張で駆けずり廻ることに疑問を感じつつ。

いく先々で、人によって言うこともやり方も違うし、なにをやってなにをやらないべきかの判断はいつもいつも本当に苦痛。

その都度、あれこれ言ってもどうにもならないし、「説明」を、「言い訳」と捉えられる面倒くささも二十代で嫌という程学んだからハイハイぺこぺこ頭を下げて、全方位に額をこすりつけながら誤魔化す自分に嫌悪感が募る。

 

やればやっただけ慣れるかとおもいきや、昔に比べてイライラは増して、忍耐の度合いは減った気がする。

言わなくていい事を言ってしまったり、気がつくべきことに気がつかなかったり負債が重なる。

 

どうにかこうにか1日を終えて、次の辛い1日に向かう途中、坂道の途中にある小汚い居酒屋に一人で入って遅い夕食を済ませる。

お酒はめっきり飲めなくなったけど、適当に焼き鳥と小皿とお刺身を注文する。

鼻先で、炭火で串を炙る寡黙なオヤジさんと元気いっぱい掛け声をかけながら動き回る若いバイトっぽい店員の人たち。

 

日々、言葉も通じない体の不自由な死にかけ共の相手ばかりしているとそんな景色を見ているだけでなんとなく輝かしく尊く感じられる。

目の前にある遠い世界。

 

家族を養って、子供を育てながら当たり前に働いている人たち、シングルマザーで自分の時間なんて全くないままに分刻みで働いている人たち。

この業界にたまにいる、無尽蔵の忍耐力と枯れない優しさを持っている人たち。たいてい長持ちしないか、本当に聖人のように信仰のように働き続ける人達。

自分は到底そうなれないし、なりたいとも思わない。

本当に苦労している人たちに比べれば大したことしていない。きっと。

だけど責任は果たすし義務を遂行する。

役割があることの有難さは知っているつもりだからまた坂を登る。

 

アルコールのせいでごちゃごちゃなに書いているのかよくわからない。

しかし本当に弱くなったな...🍺🍶🍷🍹🍾

 

fin.