「強制的に働かされているわけではないから、私が働きすぎだなんて言わないで。仕事が気に入らないなら、他を探せばいい。でも、やり始めてから「やっぱり無理」と言って辞めるのはダメ。みんなに頼りにされているんだから。」
2011年、インディペンデント紙にて
by”モードの帝王”故カール・ラガーフェルド氏
つい先日、映えある死堕亞教の下僕になってから丸3年が経ちました。
相変わらず非正規のままに(*´ω`*)
自分と、同世代くらいに入社してきた連中は、みんな求人の正社員雇用に釣られて入ってきたはいいけど実際はパートだったのと、いつまで経っても正規雇用にならないままで酷使されるのが嫌になって辞めてしまったので同世代で生き残った(逃げ遅れた?)のはついに自分1人に..
ここ、1年くらいの間に入職してきた連中は経験があれば最初から正社員。そうでもしなきゃ求人に応募すら来ないので都合よく苦労なく始めから(自分よりは)いい給料で雇用されています。
側から見れば底辺の微々たる差なんて歯牙にもかからない事なのだろうけども、割と気に入らない。
そこに死堕亞の下僕になる前に勤めていた施設から亡命してきたおばちゃんが新しく介護職として入職してきました。
話しをしてみると、ちらほらと懐かしい名前が出てきたりして、軽くノスタルジィだったのだけど環境はまるっきり変わっていない様子..
抜けてから気づいたのだけどそこは、かなり悪名高い施設で自分がスーパーブラックの死堕亞を辞めずに続けていられるのはそこで経験を積んでいたから。
退屈しのぎの思い出話しです
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ど田舎の、家族経営の病院に併設されていた入居者数92名(当時)の老人介護保健施設(通称:老健)。
最寄駅なんてものはなくて、周囲には山とブドウ畑が広がっている長閑な(辺鄙な)ところでした。
この施設の施設長は、経営者一族(病院の院長先生の家系)と仲良しだったらしい元看護師だという80近い認知症のババァでした。
介護の経験も無ければ業界のことも何も知らない、いきなりやってきた30代後半(当時)の施設長の婆の孫というおばさんが事務長をやっていて、
「あまりにも出鱈目なことばかり言うから困る(ノ_<)」
と、その時の現場で働いていた先輩たちはいつもげっそりしながら嘆いておられました。
扉一枚隔てた先にある病院のベッド数の調整と、終末期の半死半生の老人たちを都合よく施設との間で行き来させて儲けを発生させるシステムだったらしくてかなり人の入れ替えが激しいところでした。入居者も職員も。
入居者は、老人ホームのような月に20万近い利用料を支払える、一部の富裕層の連中ではなくて、ゴリゴリの医療的ケアの必要な、胃瘻やら全身管だらけのもう意識の無い老人たちや、家族からネグレクト食らって何ヶ月もお風呂にも入っていないガリガリに痩せた死にかけの人たちが措置入院といった形で救急車で運び込まれて来るところでした。
あれこれ経験を積めたから良かったのだけど、そこはとにかく死堕亞以上に離職率が高い。
職員の意識が低いわけではなくて、単純に仕事の量に人手が追いつかないのと、上層部のデタラメなやり方と介護によくある、脳みそお花畑系の理想第一主義な環境のところでした🌷🌼🧠💐🌸
「◯◯君、今月で辞めるってさ」
「◯◯さん、来月で退職だって」
「どうする?いつ辞める?」
お昼休みに交わされる会話はそんなんばっかりでした笑笑
だけどその反面、現場の結束力は強くて
介護職員も看護師さま達も、密に協力して働いていました。
職場には、中国人の叔母ちゃんも🇨🇳、フィリピン人の姉さんも🇵🇭居てみんな(表面上は)仲良く働いていました。
..このフィリピン人の姉さんは施設内での金品の窃盗や他の職員の鞄やロッカーからお金を抜いていたのがばれて後に逮捕されました🚨🚓👮♀️
僕もその時期になぜかスマホが行方不明になったりしたんだけど、まぁ関係ないかな?📲笑笑
隣の市から車で50分くらいかけて通勤していた自分と違って、他の職員の人たちは基本的に施設のある土地の人たちばかりだったのだけどその中に、距離はそんなに離れてないけれど起伏の激しいその土地を毎日、歩いて通勤してきていた、母子家庭の女の子がいました。
両親は離婚していて、兄弟はみんな結婚していて、身体の悪かったお母さんを自宅で一人で介護しながら仕事も介護。本当は看護師になりたかったらしいんだけど家を離れられないのと、お金がないからとりあえず、介護福祉士の資格を取ってお金を貯めてから看護学校に通いたいと言っていた女の子でした。
その娘は、当時20代半ばだった介護福祉士の資格も持っていなかったじぶんの3、4つ下だったので22、3歳だったと思います。
介護現場で働いている人たちは言うまでもなく女性が多くて、少なくない割合で離婚暦があったりシングルマザーだったりします。なのでなのかどうなのか、その女の子は職場のおばちゃんたちからそれはそれは大事にされていました。
その娘と、同じシフトで終わる時間が一緒だった職員は、男女問わず車があればその娘を家まで送って行ってあげるのが職場の習慣でした🚗。
特に仲が良くも悪くもなかった僕さんも、とても優しいので帰りに送って行ってあげたり雨の日や台風の日は方向は真逆だけど迎えに行ってあげたりしていました。おばちゃん達やその子から直接頼まれたこともあったので...
...上に書いた逮捕者1号のフィリピン人の姉さんに続き、職場内から出た逮捕者2号のおじさんがそろそろ登場します。