孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

親から虐待されて育った大人。[18]

10月に卸売市場(青果)を退職した後の半年間、休日どころか24時間以上会社から離れられることが無かった約三年間の揺り返しか遊び倒しました。‼️

退職してすぐに職安に行って必要な諸々の手続きを終えてからは本当にのんびり過ごしました。

 

数年ぶりに家族と一緒に朝ごはんを食べて

数年ぶりに一晩電話がならないまま眠って

数年ぶりに泊りがけで県外に遊びに行って

数年ぶりにテレビで「めざましテレビ」を見ました👀笑笑

めざましテレビ始まる前から毎日出勤してたから。。

 

退職した時の貯金は約150万円くらい。

焦って就活しなくても当分はのんびり出来るなとおもわれました。とにかくその時はぐったりげっそりしてたので休みたかったのです。

....ただ、働いている時だったら勝手に給料から引き落とされていく各種税金や年金や保険。

通帳に記載される時にはそれらが全部引き落とされた後の「手取り」が載るだけだから大して気にならないけど「無職」になってもがりがり引き落とされていくそれらの多さに肝を冷やしたのを覚えています。

 

今まで時間を合わせることが出来なかった友達とも久々に飲みにいって(キャバクラに行くのはもう辞めました)、買ったきりで本棚に並べてあった本を読んで(五十冊以上ありました)、シーズンではなかったけれど台湾旅行にも行ってきました🛩🇹🇭

 

あっという間に年が明けて、3月か4月くらいからはまた働き出そうと決めていたので就活再開!

大学時代の就活のときは、世に言う「リーマン・ショック」にぶち当たった世代の自分からするとその時は比較的、仕事は探しやすかったように思いました。製造、土木、サービス、コンサルタント、営業、運輸、諸々の職種がすぐに見つかりました。

 

さて、なにをやろうかな?

 

専門的な資格が必要なのは...難しい。

市場で使ってた資格ってフォークリフトくらいだし「競り人」の資格を取ってあったけど、これは他ではなんにも役にたたないし...大学時代に取ったパソコン系の資格はほとんど内容忘れたし....今まで営業職一辺倒でやってきたからこんどは他のことをやってみよう!

...なんて薄い決意をしながら興味があるとこはどこでも応募してみました。

 

その中でも一つ、目に止まったところがあってそこそこ距離のあるその会社まで面接を受けに行きました。結果は...

 

 

 

 

 

親から虐待されて育った大人。[17]

2年半、累計¥140,000,000。

 

 

相変わらず超過労ワークをしながらキャバクラに通い、キャバ嬢から「お誕生日プレゼントが欲しいな💕」なんて言われて14万したLVの財布をプレゼントしたり、同伴でご飯を食べて(奢って)からお店に行く途中で女性向け下着屋さんに入ってねだられてピンクのフリフリの上下セットの下着を買ったりしながら(キャバ嬢の笑顔 priceless‼️)気がつくと市場ではたらきだしてから2度目の夏が過ぎていました。

 

入社した当初には各地に散らされた13人いた新卒の営業職も使い物にならなくて左遷されたり過労と重圧と凄まじいブラック労働で退職していったりして残っていたのは自分含めて6人だけ(本社、支社含む)。

元々、周りに比べて評価もスペックも低くて碌に期待もされてなかったし誰からも軽んじられていた自分は、なぜだか生き残ってしまっていました笑笑

 

コミュ力もたいしてないし、騒々しくて荒っぽい市場の文化にもそんなに馴染めてなくて周りからも「お前は市場のバイヤーじゃなくて銀行員か教師って感じだよな」とよく言われていました。

営業職向きの人種ではけしてないよね。と、

 

それでもどんなに朝早くても一度も遅刻も欠席もしたこともなかったしバカはバカ也に一生懸命やってはいたのでそこそこ気にいってもらっていた取引相手もチラホラいました。

 職場の環境が激務でブラックなぶん同じ部署の仲間たちの結束力は強くて夜遅くまで働いていると、課長や部長が出前でピザをとってくれたり牛丼買ってきてくれたりしてみんなで食べたりしていました。なかなか楽しかったな

 

 

ただ、身体が持たない

 

 

際限なく押し寄せてくる膨大な品物と一年先までびっしり埋まっている売上計画。日本の其処彼処の港に置いてある自分の在庫と、これから税関を抜けて遠い国から入ってくる新しい品物たち。

 

24時間関係なしに鳴り止まない取引相手との電話で2年弱のあいだ、熟睡したこともありませんでした。

 

そして人(職員)も足りない

 

自分の扱っていたのはいうなれば細々とした木っ端品目で部内の売上げのなかでは大した比率はありません。(青果市場では野菜は売上げはそれぞれ(ほぼ)バランスよく配分されていますが、果実はリンゴ、柑橘類、いちご、スイカ、葡萄当の所謂、大品目にものすごく偏っていました)専門分野の「輸入果実」はコストがかかりすぎるので取扱量は200t以上あっても利鞘は本当に僅かなものでした。

 

よく上司から「市場のバイヤーは、一人で年間4億売上げてやっと一人前だ」と言われていましたが自分はまるっきりそれには届きませんでした。

 

自分のスペックや労働環境、周りからの評価も含めて「営業職」にあまり向いていないことはわかりきっていたけど、とにかく「一億円売りあげるまでは頑張ろう」と思っていました。

「一億円」と書くとなんか凄そうですが市場内では情けないほど低い目標値でした笑

 

勤めだしてからやっとその低い目標に到達できたのは2年目の夏の終わり頃。ちょうど盆商戦が終わって西瓜地獄から売り場の品物が葡萄に変わっていくくらいの時期でした🍉⇨🍇

 

それとなく上司には退職することを匂わせていたので話をすると割とスムーズに進み、「俺も、◯◯(僕)はよく頑張っていたけど他のことした方が向いてると思うよ」とありがたいお言葉をいただき、その年の10月に市場は卒業しました。

 

勤務していた日数はせいぜい2年と半年くらい。ただ、ほぼ無給で毎日15,6時間働いていたので実際の勤務期間は3,4年分くらいはあったと思います。

ドラゴンボールに出てくる「精神と時の部屋」にいた気分。笑

 

細々と記録をつけていた合計の売上額は1億4000万円。本当に微々たるものですがまぁ目標は達成。

突然いなくなったような人もなかにはいたので、自分はそれなりに円満に退職することができました。

 

他にもいろいろあるキャバクラエピソードとか、飲み会で無理やり赤霧島飲まされて急性アルコール中毒になったり、二日酔いが酷すぎて病院で点滴してもらったり、パイナップル腐らせて何十万か自賠償したりとかいろいろあったのですがもう書ききれないので「市場時代」はこれでおしまい。

 

この頃はまだ全く全然、介護職の「か」の字も頭にありませんでした。

 

さて、次はなに(仕事)をやろうかな?

 

 

 

 

僕が、5年間介護職をやってわかった事。

気付いた事①

介護職はやらない方がいい。

 

気付いた事②

「長生き」は必ずしも「幸せ」な事ではない。

 

気付いた事③

事実上、既に詰んでいる。

 

気付いた事④

状況はもう改善されない(出来ない)。

 

気付いた事⑤

高齢で独身の人間にろくな奴はいない(利用者・職員ともに)。

 

気付いた事⑥

「いい人」や、「優しい人」ほど介護職に向いていない。つうかこの業界にはいない。

 

気付いた事⑦

人間はきたない。未来は昏い。

 

気付いた事⑧

「やり甲斐」だけではやりきれない。

 

気付いた事⑨

上手に生きることが出来る人の共通点は結局、「コミュ力」と「群れを成す」能力の二つ。

 

気付いた事⑩

介護業界の上層部(企業、経営者、管理者)はサイコパスが多い。現場の労働者(医療者含む)は酷使して使い捨てが当たり前。

 

気付いた事[11]

「ご利用者様」、「想い」を引き合いに出せばなんでも許される。無敵の免罪符!!

 

気付いた事[12]

こんなことをわざわざ書き綴っている自分が一番の底辺。

親から虐待されて育った大人。[16]

キャバクラにどハマる。

 

今(介護職)に比べれば、比較にならないくらいに給料のよかった市場。

 決して残業代がまともに支払われる会社ではなかったけれど、それでも当時22〜25才の頃の自分の月収は手取りで22〜26万円程度ありました。夏季と冬季にボーナスも支給されていたし年度末には10万円くらいの謎賞与(年末調整金?)というものもありました。

 

研修が終わって実家に戻って来ていたため家賃やら光熱費もかからない!月に¥30,000程度を家に入れていただけであとは丸々、可処分所得

(((o(*゚▽゚*)o)))!!!

 

毎月、3〜5万程度を貯金用の定期預金の口座に寄せていましたがそれでも15万近くのお金が手元に残りました。

なんてステキな時代だったのでしょう....

 

 

ただ、つかう暇がない。。

 

 

 

1年365日中360日は会社に出勤。

平日は基本的に5時〜20,21時くらいまでは仕事中。そうなるとどこかに遊びに行くとか友達と旅行に行くとかは不可能でした。周りの連中はパチンコやらスロットで毎月すっからかんにして月末になると「金貸して」と言ってくる始末でしたがギャンブルとタバコが大嫌いな僕は特に使い道がありません。

 

午前中が休みになる、たまの水曜と日曜の前の夜、火曜と土曜の夜に上司や先輩や同僚と飲みに行くくらいしかお金を使う機会がありませんでした。

 

お酒は体質なのか そこそこ飲める方だったのでついて歩くのは苦にならなかったのですが(たまには奢ってもらえたし)地方都市の田舎の繁華街なんてタカが知れています。

 

 だがしかし!!

よく二次会で連れていかれていた上司や先輩の贔屓の「キャバクラ」というものにどハマりました笑笑

 

共学の高校を出て、短大→大学と進学して就職した自分は、それまでも身の回りには女性はいくらでもいましたが実際、特に関わったことがありませんでした。所謂「女友達」というのも高校時代に生徒会関係で数人いたくらい。大学時代はゼミの中でチラホラ話しをする人がいた程度、当然..

 

彼女いない歴=年齢

 

の童貞野郎だったのでキャバクラはとてつもなくカルチャーショックだったのです!!

 

入れ替わり立ち代りやってきて、隣に座ってニコニコ話をしてくれる華やかで煌びやかな女の子たち!あれこれ話しをしてお酒を飲んで....

女耐性-255くらいの自分にとって、そもそも楽しげに女性と会話をしてもらえたのは人生初で、底辺負け犬野郎にとってそこはまさに楽園(ユートピア)でした。

 

普通に既婚の上司(40代)や割と年の近かった先輩たちもそれぞれ贔屓のお店があって「指名」しているお気に入りのキャバ嬢がいる。

みんな時間は無くてもお金はあるしウサを晴らすのは飲みに来るくらいしかなかった環境だったので、特になんの違和感もなくそれが「普通」な世界でした。

 

瞬く間にキャバクラに通うようになった自分はお気に入りのお店が二店舗あって一つはやや、低価格なところ。

もう一つは、この街の中では「四天王(笑)」の一角を張るそこそこの有名店でした。

それぞれに「指名」している娘がいてほぼ毎週遊びに行っていました。

 

簡単にキャバクラのシステムを説明すると、曜日や入店した時間/人数にもよりますが1セット(だいたい50〜60分)の間、席に着いて(テーブルに置いてあるお酒、焼酎、ブランデー等はだいたい料金込)お酒を飲んだり軽食を注文したりしながら、テーブルを回って来るキャスト(キャバ嬢)の子たちとあれこれお喋りしたり盛り上がったりするというもので、お店にいる時間(1セットごとの時間料金)によってお金が発生します。

 金曜や土曜なんかの客が多くて繁盛する曜日の日は料金が割高になっていて、だいたいお店が開くのが20時前後からなのですが、入店する時間が遅くなるとそれも割高、一人で入店するよりも大勢で入店した方が一人頭のセット料金は安くなる..のが平均的でした。

 

所謂「延長(1セット分の時間が過ぎた後にもう1セット時間を伸ばす)」をしたり、お気に入りのキャバ嬢を隣にキープしておくこと→「指名」をしたりすると料金は膨らんでいきます。

お客が飲むお酒はセット料金内なので追加はかからないけどキャバ嬢の飲み物は別料金で注文するのでこれも追加料金が発生していきます。

 

自分を指名してくれるお客を沢山抱えていて沢山注文してもらってお店に沢山お金を落とさせることが出来るキャバ嬢がよく聞く「No.1キャバ嬢」というもので、そういった手練手管とコミュ力を併せ持つ人たちのことは普通に凄いし尊敬します。

 

人によっては昼間は別の仕事をしていて夜はキャバ嬢やってるよーって人も大勢いました。OLさんから大学生から今思えば、看護師さんに介護職やら...

 

彼女たちは「源氏名(げんじな)」というキャバ嬢としての芸名を持っていて、年齢やら未婚既婚も「そういう設定」の上で働いておられます。

 

なので、「24歳です🌟(キャピッ)」って人が実際は30代なのもざらだし「彼氏いません💕(キラキラ)」な人にも大抵、彼氏か旦那がいます。

人によっては、月収100万円近く稼いでいる人も(当時は)珍しくなかったようです。

 

仲間と連れたって遊びに行くこともあったし、なんなら一人で(!)行くこともありましたが一回飲みに行って入店するとだいたい1回は延長するから料金は(安くて)¥20,000〜30,000程度。それを毎週、月に4回程度していると年間にキャバクラにかける金額はざっと¥1,000,000を超えていました。。

 

完全に狂気の世界ですが、当時はお金があったので全然苦にならなかったしなんなら「週末にまた飲みに行くから頑張ろう‼️」と思っていたくらいにはモチベーションになっていました。

ディメンシア・チェイサー

医療法人時代。

 

基本的に、認知症患者というのはいま、自分がどこにいてなにをしているのか、ここがどこなのかということがわかりません。

かなりざっくりですがこのことを「見当識障害」と言います。

 

健常者(?)の認識に置き換えると、介護施設等に入居させられた本人たちの感覚は、理由もわからず突然拉致されて、言葉も通じない誰も知る人の居ない、遠い異国の地にいきなり放り出されて閉じ込められている。。

...というのが近いようです

 

歩いていたらいきなり車に押し込まれて、気がついたら北朝鮮強制収容所に放り込まれていた.....当然言葉も通じない......イヤでしょ?

 

なので、彼ら彼女らの行う「徘徊」というのは自分たちがその状況に置かれたことを想定してみると特になんの不思議もないことなのです。

 

イメージの悪いこの「徘徊」という言葉、最近では使うの辞めよう!な流れが強い傾向にあるようです。

 

痴呆→認知症

精神分裂病統合失調症

人格障害→パーソナリティ障害

インポテンツ→ED

徘徊→???

 

どんな新しい単語が生まれてくるのか楽しみですね笑笑

 

たしか、外国産でしたが「障がい児」のことを「チャレンジド」とかいう、わけわかんねー造語に置き換えようとしていたのは完全に失敗したようです。

 

ただ、(ほぼ)身体も不自由で、危険を認識する能力が失われている認知症高齢者の徘徊をそのまま放置しておくわけにはいきません。

介護職の業務のそこそこ高い割合を占めるのが「見守り」と呼ばれるこれらの「危険行為」を予防することなのです。

 

もっと専門的な言い方が好まれるなら、「認知症の中核症状から生じるBPSDを抑制/軽減することにより患者本人及び周囲の保護」をすることが「見守り」です(批判を浴びるであろう認識な自覚はあります)

 

線引きが難しい(と、僕は思っている)のですが基本的に介護職は対象(入居者/認知症患者)の行動を阻害する行為はしてはいけないことになっています。

なので最も積極的な対応でも、せいぜい周囲の「環境整備」か後ろを付いて歩くくらいなものなのです。

 

もしも、本当に対象の安全を考えるのであればある程度の「抑制」は必要なんじゃないの?というのはあくまで僕個人の意見ですが、いまの介護業界ではこれはまるっきり許されざる思想で、間違いなく異端審問にかけられて火刑に処される危険思想なのです。

 

車に乗るときはシートベルトを締めないと罰せられます。

何才以下の子供ならチャイルドシートに乗せることを義務付けられています。これは行為自体は「体の自由を奪っている」ので「身体拘束」なのですが、あくまで「安全のための義務」なので身体拘束(=虐待)だと認識する人はいません。

 

ですが、より危険度の高いはずの「認知症」の「体の不自由」な老人相手だとこれらの行いは「身体拘束=虐待」ということになっています。

....ここら辺に個人的には過剰な「虐待アレルギー」を感じるのですがそれも危険思考なのでここでくらいしか言えません。

 

それも、社会全体からの介護業界と介護職への圧倒的な不信感と嫌悪感から来ているのではないかと(個人的に)思います。

「拘束」というと世の中の人たちは「鎖でがんじがらめにしてベッドに縛り付けておく」、か「縄でぐるぐる巻いて柱に繋いでおく」ことを思い浮かべるのでしょうがなにもそんなことしません。。

 

なにが虐待でなにがそうでないのかは、女性様の言う「セクハラ」と同じで「そう思われたらなんでもそう」な状態なので危険きわまりないと(個人的に)思います。

話がズレますが、弱者が弱さを盾にとってそこに悪意を上乗せさせると最上のグランギニョル(残酷劇)が生まれます。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

数年前、深夜 午前2時

 

??「助けてぇ、疲れた、苦しい、もう歩けない、助けてぇ」

 

??「◯◯さん!お願いだからもう止まって!夜中だよ?ベッドに戻ってやすみましょうっっ(泣)」

 

神様「疲れたあ苦しい助けてえ助けてえ」

 

...たしかⅢa級の認知症だった足の不自由な神様が真夜中に鼻血をダラダラ垂れ流しながら押し車を押してふらふらになりながら廊下やらフロアを徘徊しておられました。

 

鼻をほじくる癖があり、だけど当然辞めろといって理解できるものでもないので執拗に鼻に指を突っ込んでほじくり返し、鼻血を垂れ流しながら歩き回ります。

 

着ている服やベッドの布団やシーツは血塗れ。昼間から何回も何回も更衣をしてシーツ交換をしてもまたすぐに血塗れ。なにかもう失血を心配した方がいいんじゃないの?と思うくらい辺りを血に染めながら徘徊し続けます。

自分で、「苦しい疲れた」と言っているのだから歩き回るのをやめればいいのにふらふらになりながら歩き続けます。

 

ただでさえ歩行不安定なのに疲労と失血で転倒でもされたら救いようがありません。しかも夜中に...

 

この時、勤めていたのは医療法人内の老健で4階構造の施設内に入居者は92名。(1階はデイサービス用)

 

夜勤は4人でまわす勤務体系でしたが他の階も手一杯で応援を呼んだりなんてできません。当時、やっと夜勤をやりだしたばかりの僕は泣きながらその徘徊する狂える神のあとをついてまわって床に垂れた鼻血を拭き取っている女の先輩を呆然とみていました。

 

1人が1人につきっきりになっている間にもそこらじゅうでナースコールは鳴りまくります。

 

トイレに連れてけ、布団をかけ直せ、部屋が暑い/寒い。今は何時だ、飯はまだか、家の誰それに電話をかけろ、すぐに呼べ...あとは特に意味や用事も無いものも。

 

時間毎の巡視やパット交換もしなきゃいけないし、それ以外にも諸々の物品補充や清掃やカルテの記載、やることは山ほどあります。

 

徘徊は認知症の中核症状から派生するBPSDなので対応の仕方次第で止める/軽減させることが出来る。だからそれが出来ないのは環境か、介護職の技量の問題....とはよく言われますが限度があります。

全てを野放図にしておくことを強要されているのにその中で、必要な人員基準にも達していないのにその中で、一切のアクシデントもインシデントも発生させず、神々(利用者)の要望は全て満たし、神々(上層部/管理者)の要望も全て満たし、何かあれば責任は全部自分。と言われる現場の奴隷たち(介護職)は、なにかもう虐待されているのは自分たちなんじゃないかと思っています。

 

ぼろぼろになりながら徘徊している老人のあとを、更にぼろぼろになりながら付いて回り床に落ちる鼻血を泣きながら拭き取ってまわるその先輩の姿をみながらもしかして、ここは地獄なんじゃないのか?と考えたりもしました。

 

なにも「拘束」と言わなくても鼻をほじくり返して鼻血を垂れ流すのを止める手立てをしてもいいのではないでしょうか?「疲れた苦しい助けてえ」と喚き散らしながら歩き続けるこの狂える神を鎮める手段をとってもいいのではないでしょうか?

 

「この夜」から早数年

 

資格も手にしたし経験も積んだ、だけど何が正しくて何が間違っているのか、誰が正しくて誰が間違っているのか未だに僕にはわかりません。

誰も彼もが苦痛と絶望と諦念に晒されつづけ引き裂かれ続けるこの世界、これからもずっとこのままなのでしょうか?

 

踠き苦しみながら這いずりまわり続ければその先には...

あるいは、いつか、きっと、、

 

fin.

暁のグランギニョル

2018 1/1 am6:30

 

前日の大晦日も遅番で22時ごろまで働いて帰って、寝て起きて早番で出勤。

 

来るなり、なにやらご立腹な夜勤者さん。

 

夜勤「ちょっと僕さーん!!◯◯号室の◯◯さん、超うざい!!全く話聞かない!どうにかしてきて!!」

 

僕「おけおめ。ほーん。ドユコト??」

 

◯◯さん

もとは福祉系だか養護学校の教員だかの意識高い仕事をしていたらしい神さま(♂)。

あまりに身勝手かつヒステリック、仕事にかまけて家族を省みなかった為に奥さんや子供から断絶されて精神を病む。適応障害と診断されて病院に入れられて、自分でも「頭がオカしくなった」と仰られており、見るに見かねた兄がキーパーソンになって入居されてきた人。

 

ガチガチの左翼でとにかく政権批判と「市民運動」的なものが大好き。まいにち朝◯新聞の隅々まで目を通し、居室には「アベ政治を許さない!」の大々的なスローガンが紙に書かれて掲げられている。

施設がゴミとして捨てる新聞やら雑誌を拾ってきては気に入った記事を切り出して、これも壁にべたべた貼り付けている神さま。

 

目に留まった「地域運動」、「市民活動」に参加するためにとにかく四六時中外出しておりこの人のカルテの記載は他の神々の三倍の手間がかかる反面、とんでもないクレーマー

「権利」「人権」と言った言葉が大好きで事あるごとにいろんなことに首を突っ込んでは周りの神さまたちとトラブルを起こしている。

自分たちは施設や職員から虐げられていると堅く信じており、自分の発言や言動は周りの「かわいそうな弱者」たる老人さまの権利擁護と人権と尊厳の啓発の為に行なっているため、全方位(他の神様含む)からウザがら....感謝されている至高の存在。

 

その◯◯さん、なにやら便秘続きで前日も通じ薬を内服されたそう。

それでもスッキリう◯こが出ないため「摘便してくれええええええっ」と夜中中騒ぎ倒していた模様。

 

※摘便(てきべん)

自力で排便できない人/場合に、他者がア◯ルに指を突っ込んで💩をほじくり返して掻き出す事。(医療行為)

 

これは医行為なのでそもそも介護職には(法的に)行えないこと。

言われたからって勝手にやるわけにもいかず医療者(看護師当)に報告してバトンタッチするしかないこと。

夜勤帯に看護師はいない。。

 

泣こうが喚こうがきっちり説明したらわかってもらうしかなくてそれでもダメなら腹部のマッサージでもして腸の活動を促す...程度のことしか介護職には出来ません。

 

夜勤者「自分でやるとか言い出してて部屋の中メチャクチャにしてる。僕さん見てきて!」

 

僕「.....了解。」

 

 

部屋の前まで行ってノックしてドアを開ける🚪

 

床に敷いてある新聞紙、その上に汚れたランニングシャツ一枚で四つん這いになり尻を突き出してア◯ルをドア側(自分の方に)向けてヒクヒクしながら嗚咽をあげている左翼老人。

 

ア◯ルからはぼたぼたと💩が敷いてある新聞紙の上に落ちていく。

もうすでに撒き散らしたあとらしくて居室内のトイレから入り口の床までベッタリと💩が付着している光景

 

世界全体がまだ眠っているであろう元日の元旦の出勤10分後から、絶頂を迎えつつある老人の、一人ス◯トロを見せつけられているおれ。

こんな汚ねぇ初日の出始めてだよ....

 

清拭タオルを取ってきてア◯ルを綺麗に拭い、トイレやら床に飛び散っている💩を片付けている元日の朝。

....こんな最悪な新年迎えた人間、今年は地球に何人いるかな?

 

僕さん爆散。

 

 

....あれから半年。

もう今年も半分終わったんだなとしみじみ思いながら時計を見上げる夜勤中。

 

 

fin.

 

不都合な真実、或いは破滅の刻。

 

僕「いろいろあって市内の別の支店に異動になったあいつ(同僚B)いるじゃん?」

 

同僚「うん。今はまた出張中でしょ?」

 

僕「そうそう。その彼から電話が来たんさ。(ラインの)」

 

同僚「ほーん。元気にやってるって?」

 

僕「今月の給料(6月分)、手取りで13万無かったんだってさ」

 

同僚「は?」

 

僕「いや、だから、異動になったら給料が手取り13万切ってるんだって」

 

同僚「えっ?なんで?」

 

僕「ここ(自分らの支店)、とは勤務体系も違くて、重ねの勤務がほとんどないんだって。異動したばかりだから慣らし期間なのもあるかもだけどさ。入居者の数も介護度が重度な代わりに人数は少ないから職員数もすごく少ないみたいだし」

 

同僚「で、だからなんで手取りがそんなんなっちゃうの?」

 

僕「現状、勤務が日勤帯だけだから?俺らは正社員じゃなくてパートだし、時給もすごく低いからね」

 

同僚「彼、一人暮らしでしょ?いくら都会に比べれば家賃安いからって部屋代と水道光熱費、携帯料金引き落とされれば残るの幾らくらい?そこから食費やらなにやらやりくりしてさ。。専従で丸々働いている30代の男の給料がそれってあまりに酷すぎない?なんなら高校生や大学生のアルバイターのが稼いでるよね?」

 

僕「その通りだよね。流石にそれじゃあ生活厳しいから、そっちの施設長に話ししたら、「とりあえず頑張って」って言われたんだってさ」

 

僕「なんとか時給上げてもらえるように交渉中らしいけど、だからっていきなり、100円200円上がるわけもなし....」

 

同僚「俺たちと同じで「正社員で雇用」って求人見て応募してきたほぼ同期だけど言わずもがな、三年勤めててもまだパートのまま。言われるがままに試験受けて、レポート提出して、講習受けてってやってるけどそれでもパートのまま。」

 

僕「今はより人手不足な支店に人柱で送り込まれてるから早番〜遅番の過剰勤務で、それでなんとか最低限生活できるだけの賃金になってるけど異動した支店に帰ってきたらまた手取り13万の生活に逆戻りじゃんさ。それって何の為にはたらいているのかな?」

 

同僚「現状を改善する為に出来る努力、例えば「副業」を探すなり、資格取って資格手当を上乗せしてもらうなりしなきゃだけど、曜日も暦も24時間すら関係ない介護業務のシフトで出来るアルバイトなんかなかなか無いし、資格取るにしたってその「講習費用」すら捻出する余裕もない。会社の都合で「異動」させられてるのにその行った先で自分が生活するお金すらまともにない....なにそれ??会社は現場の俺たち(介護職)をどれだけ軽視して殺そうとしてるんだよ?」

 

僕「資格取ったところでね...介護福祉士(国家資格)取ったところでそれで付く手当は一月に¥10,000。。数年間と何十万の時間とお金を費やしても戻ってくるのはそれだけ。馬鹿馬鹿しくてやってられなくなる」

 

同僚「パートから正社員への昇格の条件は、上が言うには「会社への貢献とご利用者様からの信頼」。それって何が目安でどういう基準なの?結局、上の連中の裁量と気分と好き嫌いってことじゃん?」

 

僕「実際、生活するのも厳しいからそいつはもう辞めるかもって言ってたわ。職員が定着しないと人員不足の解消なんて出来るわけないのに、定着させる気がさらさらない。アホみたいな「理念」やら「思想」を撒き散らすのはいいけど問題の解決を図る気がこの会社には全くない。挙げ句の果てに面談のときにそれを話したら「自分たち(上層部)は求人を出しているのだから、それで来た新入社員が定着しないのは現場のお前らの責任」と言い切りやがった」

 

同僚「新しく入って来た人たちが辞めていく理由ってもう、何人も見て来たけどみんなおんなじなんだけどね。求人の虚偽、度し難い低賃金、待遇の悪さ、現場の人間関係の災厄さ....」

 

 

同僚「それで、人手不足な支店にパートの職員をねじり込んで首の皮一枚でギリギリ繋いでる。もう改善のしようがないし救いようがない。なにもかも下に押し付けて使い潰して切り捨てて知らん顔。数千万から数億の金をかけて、入居者も職員も集まるかわからない新しい施設を開設させる暇があるなら、今ある施設の環境と、職員の待遇をどうにかするべきだと下層民の俺なんかは思ってしまうのだけどどうだろう?」

 

僕「王侯貴族が労働と徴税を課している平民や農民のことを考えたことなんて人類史の中で一度もない。」

 

同僚「ゆうても、この状態が介護業界のなかで特別珍しいってわけでもない。ピンからキリで、うちは明らかに「キリ」寄りだろうけど、どこ行っても大抵変わらない。もうこんな職業や業界は無くしてしまった方がいいんじゃないかと考えてしまわなくもない」

 

http://cedar-web.com/company/

 

僕「介護職、必見の情報サイト「みんなの介護」にはいろいろなコラムが掲載されているのだけど、その中の「介護ノミライ研究所」って生物学者の先生が執筆しておられるコラムがすごく面白い‼️」

 

⭐️みんなの介護

https://www.minnanokaigo.com/

 

⭐️介護ノミライ研究所

https://www.minnanokaigo.com/news/sakai/

 

僕「ざっくりまとめるともう、種としても社会の発達段階からしても飽和して限界近くまで来ている「人類」は、もうそろそろ滅びるかもしれない。地球の歴史の中でいうと「6番目の大量絶滅」がすでに始まっていて、その先端に在るのが超超超高齢社会の今の日本なんだって。なにかしら対策を取らないと破滅は必須。その試金石になってるのが「介護業界」とかなんとか...大仰に聞こえるだろうけど読んでみると凄く説得力がある..気がしないでもない」

 

同僚「なんだか、エヴァンゲリヲンに出てくる「人類補完計画」やニコル・ボーラス卿の「破滅の刻」みたい....笑笑」

 

僕「もう、長いことこの業界(介護)にいて、俺も頭がオカシクなってきているからなにが普通でなにが間違っていてなにが正しくてなにが悪なのかよくわからない。ただ、現状が狂っていることは間違いがないと確信している。。」

 

同僚「もうこれ以上「犠牲者」を増やさない為には、定期的に発狂したお仲間のキチガイが起こす「介護テロ」は、もっとずっとこの業界に人を寄せ付けなくする為に必要なのかもしれないね」

 

僕「タブー中のタブーだけどもう今更、底辺キチガイ介護職が凶悪事件起こそうが、世の中に娯楽を提供するだけでそれが現状の改善や業界の浄化に繋がることはほとんどないと思われる。今井隼人も、植松聖もあれらはある意味で逆十字に列聖されたわ。」

 

同僚「はい、アウトー。一発レッドカードだよー」

 

僕「まぁ、結局俺らがごちゃごちゃ言ったところで単なる「戯言」なんだけど」

 

 

 

fin.