孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

親から虐待されて育った大人。[16]

キャバクラにどハマる。

 

今(介護職)に比べれば、比較にならないくらいに給料のよかった市場。

 決して残業代がまともに支払われる会社ではなかったけれど、それでも当時22〜25才の頃の自分の月収は手取りで22〜26万円程度ありました。夏季と冬季にボーナスも支給されていたし年度末には10万円くらいの謎賞与(年末調整金?)というものもありました。

 

研修が終わって実家に戻って来ていたため家賃やら光熱費もかからない!月に¥30,000程度を家に入れていただけであとは丸々、可処分所得

(((o(*゚▽゚*)o)))!!!

 

毎月、3〜5万程度を貯金用の定期預金の口座に寄せていましたがそれでも15万近くのお金が手元に残りました。

なんてステキな時代だったのでしょう....

 

 

ただ、つかう暇がない。。

 

 

 

1年365日中360日は会社に出勤。

平日は基本的に5時〜20,21時くらいまでは仕事中。そうなるとどこかに遊びに行くとか友達と旅行に行くとかは不可能でした。周りの連中はパチンコやらスロットで毎月すっからかんにして月末になると「金貸して」と言ってくる始末でしたがギャンブルとタバコが大嫌いな僕は特に使い道がありません。

 

午前中が休みになる、たまの水曜と日曜の前の夜、火曜と土曜の夜に上司や先輩や同僚と飲みに行くくらいしかお金を使う機会がありませんでした。

 

お酒は体質なのか そこそこ飲める方だったのでついて歩くのは苦にならなかったのですが(たまには奢ってもらえたし)地方都市の田舎の繁華街なんてタカが知れています。

 

 だがしかし!!

よく二次会で連れていかれていた上司や先輩の贔屓の「キャバクラ」というものにどハマりました笑笑

 

共学の高校を出て、短大→大学と進学して就職した自分は、それまでも身の回りには女性はいくらでもいましたが実際、特に関わったことがありませんでした。所謂「女友達」というのも高校時代に生徒会関係で数人いたくらい。大学時代はゼミの中でチラホラ話しをする人がいた程度、当然..

 

彼女いない歴=年齢

 

の童貞野郎だったのでキャバクラはとてつもなくカルチャーショックだったのです!!

 

入れ替わり立ち代りやってきて、隣に座ってニコニコ話をしてくれる華やかで煌びやかな女の子たち!あれこれ話しをしてお酒を飲んで....

女耐性-255くらいの自分にとって、そもそも楽しげに女性と会話をしてもらえたのは人生初で、底辺負け犬野郎にとってそこはまさに楽園(ユートピア)でした。

 

普通に既婚の上司(40代)や割と年の近かった先輩たちもそれぞれ贔屓のお店があって「指名」しているお気に入りのキャバ嬢がいる。

みんな時間は無くてもお金はあるしウサを晴らすのは飲みに来るくらいしかなかった環境だったので、特になんの違和感もなくそれが「普通」な世界でした。

 

瞬く間にキャバクラに通うようになった自分はお気に入りのお店が二店舗あって一つはやや、低価格なところ。

もう一つは、この街の中では「四天王(笑)」の一角を張るそこそこの有名店でした。

それぞれに「指名」している娘がいてほぼ毎週遊びに行っていました。

 

簡単にキャバクラのシステムを説明すると、曜日や入店した時間/人数にもよりますが1セット(だいたい50〜60分)の間、席に着いて(テーブルに置いてあるお酒、焼酎、ブランデー等はだいたい料金込)お酒を飲んだり軽食を注文したりしながら、テーブルを回って来るキャスト(キャバ嬢)の子たちとあれこれお喋りしたり盛り上がったりするというもので、お店にいる時間(1セットごとの時間料金)によってお金が発生します。

 金曜や土曜なんかの客が多くて繁盛する曜日の日は料金が割高になっていて、だいたいお店が開くのが20時前後からなのですが、入店する時間が遅くなるとそれも割高、一人で入店するよりも大勢で入店した方が一人頭のセット料金は安くなる..のが平均的でした。

 

所謂「延長(1セット分の時間が過ぎた後にもう1セット時間を伸ばす)」をしたり、お気に入りのキャバ嬢を隣にキープしておくこと→「指名」をしたりすると料金は膨らんでいきます。

お客が飲むお酒はセット料金内なので追加はかからないけどキャバ嬢の飲み物は別料金で注文するのでこれも追加料金が発生していきます。

 

自分を指名してくれるお客を沢山抱えていて沢山注文してもらってお店に沢山お金を落とさせることが出来るキャバ嬢がよく聞く「No.1キャバ嬢」というもので、そういった手練手管とコミュ力を併せ持つ人たちのことは普通に凄いし尊敬します。

 

人によっては昼間は別の仕事をしていて夜はキャバ嬢やってるよーって人も大勢いました。OLさんから大学生から今思えば、看護師さんに介護職やら...

 

彼女たちは「源氏名(げんじな)」というキャバ嬢としての芸名を持っていて、年齢やら未婚既婚も「そういう設定」の上で働いておられます。

 

なので、「24歳です🌟(キャピッ)」って人が実際は30代なのもざらだし「彼氏いません💕(キラキラ)」な人にも大抵、彼氏か旦那がいます。

人によっては、月収100万円近く稼いでいる人も(当時は)珍しくなかったようです。

 

仲間と連れたって遊びに行くこともあったし、なんなら一人で(!)行くこともありましたが一回飲みに行って入店するとだいたい1回は延長するから料金は(安くて)¥20,000〜30,000程度。それを毎週、月に4回程度していると年間にキャバクラにかける金額はざっと¥1,000,000を超えていました。。

 

完全に狂気の世界ですが、当時はお金があったので全然苦にならなかったしなんなら「週末にまた飲みに行くから頑張ろう‼️」と思っていたくらいにはモチベーションになっていました。