母親が家から追い出されたのは、短大2年で就活を終えていたじぶんが、遠く離れた名古屋の某企業から内定をもらい、中学三年生だった弟には高校受験の年でした
普段、母親から「私立になんて行ったらどうなるかわかってるよな?」と脅されていた弟にとって、それは大きな大きなプレッシャーだったようなのですが、母親がいなくなると、父親はあっさり弟を、かつてじぶんが卒業した母校である私立高校に入学させました
短大を卒業間近、就職先も決まっていたじぶんにも、「大学に行きたがっていたし今からでも編入してみないか」と話しを振ってくれました
特にやりたくもない仕事の、特に入りたくもない企業に進むはずだったじぶんは、ありがたくその申し出を受けて、内定を辞退し、在籍していた短期学部(短大)から同じ大学法人の四年制側への編入試験を受けました
三年次編入というやつです
とうぜん、アッサリと合格してオマケのような二年間、学校生活を送ることが出来ました
兄弟三人の中で大学まで出してもらったのは自分だけ、妹は短大卒で、弟は高校→専門学校→フリーター→就職の流れで現在に至るので、その点は凄く凄く父に感謝しています。
......大卒にしてもらったのに現在では介護職。。大きな大きな負い目です泣
ゴミ屋敷だった家の中は、完全にすっきり片付けられてカーテンからカーペット、家電まで、「お金大丈夫なの?」と心配になるくらい何もかもが一新されました
父親は母親の痕跡を消すことに必死になっていたように見えました。
一新というか一掃?
追い出されて実家に叩き出された母親も黙っていませんでした。
「可哀想な被害者の私がこんな扱いを受けるのは不当だ!」としてそんなに多くない母方の親戚を結集して父親に挑みかかってきました
父は、「自分の母親(同居していた自分たちのおばあちゃん)の葬式を出すまでは波風立てたくなかった」と呟いていました
そんな父に向かって、母方の祖父母含むアッチ側の親戚一同は「マザコン」だの「うちの一人娘がおかしくなったのはお前の家に嫁いだからだ」と喚き散らし続けました
馬鹿馬鹿しい水掛け論で、もうどうしようもありません
でもそれも長くは続きませんでした
実家に戻って来た母親(自分たちの一人娘)と同居しだした祖父母は当然、母親から言われたことを全て鵜呑みにしていたのですが、実際に一緒に生活をするようになってみて「何かがおかしい」ということに気づきだしました
最初は、塩らしくしていた母親もすぐに本性を剥き出しにして自分の両親である祖父母に牙を剥き出しました
人格的には「普通の人」の祖父母は、ここに来て漸く母親の異常さに気づきました まるっきり話が通じない、手に負えない凶暴性のモンスター。。
すぐに持て余しました
だけど唯一の一人娘、追い出すわけにもいかないし他に行くところもない 外に出したらなにをしでかすかわからない
母親が実家に戻ってからそう時間が経たないうちに、祖母は娘と一緒に精神病院に通院するようになりました
50代の娘と80代の母親が揃ってメンタルヘルスを受診。それも幾つも幾つも何か所も。
行く先々で、只そこにいるだけで不幸を撒き散らすアクマ。あれを人間だとは到底思えません
オマケのような学生生活は目の前を過ぎ去り、僕には二度目の就活の季節が巡って来ました
言うてももう経験あるし(短大時代)、余分にいろいろ勉強できたしまぁ楽勝でしょ!と楽観していたのですが...
世はまさに「第二次氷河期時代」!
「サブプライムローン問題」、「リーマン・ショック」、「派遣切り」、「内定取り消し」...
新聞の紙面を賑わすのはそれらの華やかな単語たち。
二度目の就活は世界的大不況とピッタリ重なりました