孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

こころのつよさ、レジリエンス

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https://www.recruit-ms.co.jp/glossary/dtl/0000000203/

 この、上級国民の知的エリート向けに俺様が執筆している✍️、高尚かつ上品でウィットに富んだジョークと、センスあるエスプリに満ち満ちているブログの読者であらせられる、画面の前の紳士淑女諸君にとってはわざわざ話すほどのことでもないだろうけれど、今日はレジリエンスについて語りたい。俺様は割とガチのマジで人生にとってもっとも大切なものはレジリエンスとメンターの有無だと信仰している。メンターというのは細かい定義やらあれこれがいろいろあるのだろうけれど、ザックリと『こころの支えになってくれて助けてくれたり導いてくれる人』と理解している。師匠的な?導師的な?

メンターとは?メンター像には、目的別に2つの類型がある - 日本メンター協会

 今回の本題のレジリエンスというのは、冒頭に貼り付けたリンク先によると『回復力』、『しなやかさ』、『弾性』とかなんとか長ったらしく説明されているのだけれど、こっちもザックリまとめると『挫けそうな時に自分のメンタルにベホイミを唱えられる能力』程度に認識している。ホイミだとちょっと弱いのでベホイミくらいがいいと思う。もっと言えば、自分だけじゃなくて周りの人達のためにベホマラーを唱えられるくらいのレベルとMPがあればその人はもう立派な"賢者"だと言っても過言ではないだろう🧙。つまるところ『こころの回復力』、『逆境に対する耐性』、柔軟さみたいな文脈で語られるものだ。俺のように気持ちの切り替えがすごく下手くそで、過去の失敗やトラウマ🐅🫏や今後の不安に常に苛(さいな)まれているようなタイプからすると、とても羨ましいスキル?特性?と言える🫤。だけれどこの『こころの柔軟性』って持って生まれた"才能"のようでもあるし、その人の置かれている環境にもよるだろうし、生育歴やら....なんならDNA🧬レベルで人による。訓練やら矯正やらで獲得したり強化したりも出来なくもないんだろうけれど、どちらかと言えば"天与の才"の類(たぐい)だと思えなくもない🤔。

 人それぞれの"こころのつよさ"は網🕸️に例えられるなんて話を昔、なにかの本で読んだ覚えがある。魚を取る時に、大きな魚🐟を取るなら大きな網が必要だ。網の強度も頑丈な紐を使って編まれたものでないと役に立たないし破れてしまうだろう。だけど小さな魚を取る時には網目の細かい小さな網のほうが向いている。だけど網目が細かいと余計なゴミが引っかかりやすいし、紐の素材が弱ければ網は破れやすい。だけれど大きな魚を取れる網が上等な網で、小さな魚用の網が劣った網かと問われればそういうわけでもない。それは向き不向きの問題で適材適所だ。無理して小さな網で大きな魚を取ろうとすれば網は壊れてしまうだろうし、大きな網で小さな魚を取ろうとすれば網目からすり抜けてしまって使い物にならない🕸️🐟🕸️。紳士淑女諸君のお察しの通り、

網の強度=こころの強さ💗

で、

魚🐟=ストレスの度合い😫

とでも置き換えてくれればいい。どんな魚を取るところに身を置けるかはぶっちゃけ運でしかない。そこでする漁に自分の持っている網が向いているのか向いていないのかも運でしかない😣。自分の網に合ったところに身を置ければ幸せなんだろうけれど、大半の人間はそんな幸運を得られないのでこの世は地獄になっている。魚のデカさと獰猛さだけはどんどん大きくなってもいる。しかも猛毒を持ってる奴も多い☠️

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....そんなんなんだから、まぁゆるくやろうよ。

 

fin.