まだ小さかった弟が牛乳を零したのがその場にいたじぶんが見ていなかったせいだと近くにあったプラスチック製のハンガーを投げつけられて身体に当たって割れたハンガーの先で太腿のあたりを切り裂いて血を流したこと
殴られて鼻血を出して垂れた血で服が汚れたから「それを誰が洗濯するんだ」とまた余計に殴られたこと
何をしたかは覚えていないけれど夜中に怒鳴り散らされていて母親が席を外した隙に眠ってしまったじぶんは風呂場に引き摺られていってパジャマを着たまま頭からひたすら水を被せられました
冷たい。寒い。苦しい。
季節は真冬、外は雪、ここは寒冷地。
どこかに外出した際は出先での振る舞いや態度や、口にしたこと、動きを家に帰ってきてから、あげつらわれ吊るし上げられます。
睡眠時間も食事も取れせてもらえません。
妹は昼間から酒を飲んで猛り狂っている母親に包丁を突きつけられて買い物に行かされて母親の食事をつくっていました
いつも一番かわいそうな一番下の弟は要領が悪かったせいもあり、いつも母親の近くに縛り付けられていて一度は車でどこかの山に連れていかれ置き去りにされて知らない老夫婦に拾われて家に送り届けてもらったことがあるそうです
父親が不在の時に部屋に閉じ込められ食事も取らせてもらえなかったじぶんは母親が妹と弟を連れて実家に出かけている隙におばあちゃんがこっそり父親に連絡をしてくれて父親が買ってきてくれたお弁当を隠れて食べていました
真冬の夜に裸足で外に放り出された弟は、玄関の前のコンクリートに濡れていた足の裏が凍りついて張り付きました。それを無理やりべりべりと引き剝がしながら家に入れてくださいと懇願したため辺りは血だらけ、キレた母親に家の中に引きずり込まれてさらに折檻を受けました
食事も与えられずに、自分の衣類は洗濯もしてもらえなかったじぶんはいつも同じ服(下着も)を着て学校に行っていました。たまに母親が床に投げ捨てる残飯を拾って食べていました。
四六時中、怒鳴り散らし喚き散らしている母親は「お前達のせいでわたしが近所からおかしいと思われる」と言ってさらに暴力性を増していきました。
これは氷山の一角。
言い出したらきりがありません。
痛めつけた方は痛めつけたことを忘れても痛めつけられた方は痛めつけられたことをいつまでも忘れません。
誰にも話しませんが僕は今でもよく左腕が痛みます。
本当に痛んでいるのか幻痛なのか自分でもわからないけれどじぶんは、これは幼い頃に床に叩きつけられて骨折したあの時のせいだと今でも信じています
30年以上経った今でも痛みが消えないのであの時の怒りと憎しみも全く衰えません
理解してもらおうとは全く思わないけれどいつでも憎悪と怒りに焼かれ続けています
僕はできる事なら生まれてきたくありませんでした
いい年をした今でも自分の人生と引き換えにしてでも母親を殺してやりたいと心の底から強く願っています。
呪っています。
じぶんの状態は「アダルトチルドレン」というものなんだろうというのも自覚しています
痛みは消えず憎悪は深まり怒りは煮え滾り時は癒さず、地獄はいつまでも終わりません