相変わらず、殴られたり蹴られたり叩きつけられたり縛り上げられたり家から締め出されたり置き去りにされたり閉じ込められたり食事も何も与えられなかったりしながら真っ暗な幼少期を過ごした自分も小学校に入学しました
不思議でしょうがないのですが、人の目の届かないところでは常にそういう振る舞いをしていた母親は何故だか外面だけは凄まじくよくてなんなら「教育者のお手本」みたいなイメージを持たれていたそうです
誰もやりたがらない保護者会?だかPTAの役員をいつでも大喜びで引き受けていて自分たち兄弟が小中学生の時には入学式や卒業式の時にいつも「保護者代表」やら「役員挨拶」みたいなので壇上で演説をする人でした
授業参観の時には必ず着付けをして髪をセットしてお高い着物を着て出席。
いかにも語尾に「〜ザマス」ってつけて話をしそうな人でした
所謂「ママカースト」的なやつで上位の位置にいたらしくて、取り巻きのクラスメイトの母親たちがいつも周りにたくさんいました
家にいるときはいつでも四六時中、仲のいいママ友?に電話をかけまくり1時間でも2時間でもしゃべり倒していました
家事をしたり食事をつくったりはしませんでした
自分たち兄弟は母親の逆鱗に触れないように常にコソコソビクビクしながら暮らしていました
食べるものはいつも母親の実家の祖父母の家で「生協」で取り寄せていたレトルトと冷凍食品のみ。
自己顕示欲を満たすことと外面を良くすること以外に興味がなかった母親はめんどくさくて買い物に行ったり家事をするのは嫌だったようです。
なので、自分には「女性・母親が主に家事をする」という習慣だか、文化だかがイマイチよく分かりません
それでも田舎の愚民しかいない糞地域でも中には「あいつはどこかおかしい」と気付いていたひともいて「アンチ」的な勢力もあったことを後から聞きました
特にほかのPTAやらの役員をしていたまともで「普通」の人たち。
学校が終わって子供達が帰ってきた夕方ごろからいきなり電話をかけてきて、1時間でも2時間でも喋り倒すこの「異常者」に不信感や不快感を持っていたり「本性」を見抜いて徹底的に避けていたひとも少なくなかったそうです
家の中では虐待とネグレクトの限りを尽くしているのに、外では「教育者のお手本」の母親。それに気づかずありがたがる馬鹿どもとなにかおかしいと気付きながらも見て見ぬふりの連中
こどもだった自分からすると何もかもが信じられなくて馬鹿馬鹿しい茶番にしか見えませんでした
増えていくのは、不信感と恐怖と憎悪と怒りと傷痕だけ
義務教育時代のじぶんは無口無表情無関心で目つきと成績だけはやたらと悪い孤立した生徒 ただやたらと本は読む
友達も少しはいたような気がしますがADHD全開だったその頃のことはあまり記憶にありません
孤立していたからいじめられていたような気がしないでもなかったのですが何がいじめかもよくわからなかったので...
物が無くなったり廊下ですれ違い様に知らない子から悪口を言われたり、給食袋がなぜか校庭の隅で泥だらけになって発見されたり...
うん!人気者だったんだな!俺は。
誇大妄想や心疾患や創作や針小棒大なフィクションだと思われるのが当たり前でしょうが全部ほんとうのことです。
母親のことを普通の人と「違う」と思っていた理由、たぶん脳の構造からして人間じゃないんだと思うのですがとにかく感情の起伏が激しくていつ爆発のスイッチが入るかわかりません。
AB型の人間ってみんなこうなのかな?と当時は思っていました。
だれでも自分に置き換えて考えればわかると思うのですが「キレる」という状態、脳の構造というか機能上、MAXの怒りってどうしたって維持するのは10分くらいが限界だそうなのですが、この人(人だなんて思ってないけれど)は数十分から数時間キレ続けます
いったい、いつ息継ぎして一分間に何文字分怒鳴るの?というのを本当に数時間続けます。
一度怒りに火がついた後は数週間でも数ヶ月でも口をきかなくなります
冷戦ってやつ?www
自分たち兄弟を目の前に正座させて気がすむまで怒鳴り散らし、髪を引っ張り、頰をはたき、周りにあるものを手当たり次第に投げつけ(ゴミ屋敷なので弾丸には困りません)ます
途中から頭がクラクラしてきて、自分がなんで怒られていてここに座っているのかもわからなくなってきます。
それがまた火に油を注ぎます。
声が響いて聞こえたり遠くからに聞こえたり、目の前に座ってキレて喚き鳴らしている母親が大きく見えたり小さく見えたり、着ている服の模様がぐるぐる回り出したり伸びたり縮んだり。。
「離人症(りじんしょう)」というそうです
自分も過呼吸になって泣いているのでうまく喋る事も息をする事も出来ません。 そんな地獄がしょっちゅう何時間でも何日でも続きました