孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

うんこ拭きの覚え書き💩🗒✍️③

③.暴虐無人の王様👴👑

 俺様が、介護現場で出会った忘れられない人たちを紹介するこのシリーズ。今回は"暴虐無人の王"と呼ばれた、とある入居者について👴。

 うちの会社を退職していった介護職たちの何人かの、退職の理由になった悪魔のような爺さんのお話し😈。便宜上、仮に『F氏』とする。

 F氏の年齢は73才。現代にっぽんでは、"老人"と呼ぶにはまだ早いくらいで、うちの支店の入居者の中の最年少だった。いちばん端っこの居室に入居していて、左麻痺の車椅子生活👨‍🦽。脳血管障害で患ったそうだが、認知症状はなかった。とても身体が大きな人で、車椅子への移乗(※ベッドなんかから乗り移る動作のこと)をする時や、日中はトイレ介助🚽、夜間はオムツ対応で入浴にも介助が必要🛀。..ただ、お風呂はデイサービスで済ましていたので、施設内で入浴を行うことは無かった..んだけれども、このコロナ禍で、デイサービスが中止になったので、当然、入浴も施設内でやることになった😵これが大問題に繋がるんだけど..

 とにかく異常に攻撃的で暴力的。あらゆることに対して、こだわりや好き嫌いが激しくて、特に介護職員の好き嫌いが露骨な人だった。大柄な体格に、乱暴な性格。『苦虫を噛み潰したような』なんて形容詞があるけれど、いつも、不機嫌を通り越して憎々しげな怒った顔をしていて、控えめにいって怖い人だった。

 若くして(?)半身不随になった怒りや憎悪もあったのだろうけれど、そういったものをとにかく介護職に叩きつけてくる人だった。『殺してやる』、『殴るぞ』、『てめーじゃイヤだ、誰か他の人を連れて来い』、と職員を脅すので、女子社員の中には、本気で介助に入るのを嫌がって、避けていたり、罵倒されて泣いている人もよく見かけた🙄。

 特に、男性介護職のことが大嫌いで、自分は、早稲田大学卒なことを非常に誇りにしていたひとだったので、低学歴かつ、最底辺の人種である"男性"の介護職を、ハナから見下しきっていて心底馬鹿にしていた。そいつらにトイレの世話をされたり🚽💩、おむつを変えられたりするのはさぞ、自尊心を傷つけていたようで、とにかく攻撃的で喧嘩腰だった。

 ただ、人手不足な介護現場では、いつでもその人が「自分を介護してもよい」と思っている職員が常にいるわけでもなく、特に職員側がワンオペで対応する夜間🌃は、本当に地獄のようだった。どれほど、好き嫌いを徹底していたかというと、例えば毎日の食事の声かけにいった職員が、自分の気に入らない奴だと、食事にも出てこない。服薬💊も拒否。入浴も拒否🛀。といった感じだ😵。..最悪、食事や入浴は拒絶するのはいいとしても、"服薬💊"だけはなにがなんでも飲んでいただかないと、事故報告書になるわけだし、"飲まない"ことに対する許可を、看護職員や、なんだったら主治医にまで連絡をして確認しなければいけなくなる。なので、その日のシフトをみて、「今日は誰がF氏に声をかけるか」の確認を毎日行っていた。

 そんでもって、周りの入居者の老人たちのことをひどく嫌っていて、特に認知症状のある(※つまり痴呆の)入居者に対して『うるせえ!』、『死ね!』、『こんなもの、殺しちまわなきゃダメだ!』と怒鳴り散らかしていたので、F氏がたまに、フロアに出てきて新聞📰を読んでいる時なんかには、緊張感が凄かった😰。基本的に、介護職員に対しては、暴力を振るおうが、どれだけ罵倒しようが、セクハラしようがすべて許される介護現場においても、他の“神”である入居者に対してまでこの行いで、なんで追い出されないのかが本当に不思議だった。

 看護職員に対しても、接し方は似たようなもので、まだ指示は聞いていたようなんだけれども、とにかく強烈な"自分ルール"があるF氏を尊重する為に、例えば起床時間はam.5:30きっかり、おむつを交換して、車椅子に移乗して(片麻痺用の補助具を足に装着して)トイレに行って、糞💩を噴き出して、洗面台で手を洗い、前もって夜勤が整えておいたテーブルに置いておいた新聞を読む📰。

 朝食は他の入居者よりも早く、30分前のam.7:00きっかりに提供され、7:30からまたトイレ🚽。日勤帯の勤務(am.8:30〜pm.17:30)の日程で勤めている看護師さんが、F氏のフロアを担当するその日の人は7:30に出勤してF氏のトイレ介助に入る。F氏がそう望まれているから。もちろん時間外対応。...一度、よそから来た看護師さんが「それはおかしい!」と言って、F氏の糞便処理💩の為だけに1時間早く出勤することを拒否してえらいことになった🙄

 なぜ、ここまでの暴虐無人が許されているのか☹️❓俺は不思議で不思議で仕方がなくて、何回か(当時の)施設長に聞いてみたんだけれど、返ってくる答えは、『F氏の幸せのために』、『F氏の介護を通して職員の心を成長させる為に』とかのアレなやつだった。

 "心が成長"する前に"心を粉砕"されて"辞めていく人が何人もいたのに、それでも"ご入居者様の想い"を、なによりも優先するうちの施設は、本当に介護の鑑のような素晴らしいところだとおもう。あっ、これ皮肉ね🤗

 そんなF氏には1人、本当に嫌いで嫌いで仕方がない職員が1人いた。そう。俺だ🙂。

 F氏いわく、『顔が気に入らない』、『声が気持ち悪い』、『歩き方が気取っていてムカつく』、『足音が気に入らない』とのことだった。うん。たしかに俺様、子供の頃から人から好かれるタイプではなかったし、なにかと生意気に見られがちだけどさ😓..顔やら、声やら、歩き方やら、足音やらから気に食わないならもう仕方ないね🤗お手上げ万歳🤷‍♂️🙌だ。

 よく覚えているのだけれど、『てめーが歩いているのを見るとムカつく。だから俺の前では床を這いずりまわれ。』、『俺の股に首を突っ込め、へし折って殺してやる』と言われたのが忘れられない🥺✨✨...それのなにが困るかって、自分が罵倒されたり暴力を振るわれることは昔から慣れっこだからどうってことないのだけれど、自分がシフトの時に、自分のせいで、F氏の介護拒否がはじまると、結果、周りの職員に迷惑がかかってしまい、白い目で見られたり、全体の業務に影響することが辛かった😢

 何度も何度も上司に相談したし、“踏み絵面接”の時にも、雲の上の偉いさんがたにも相談したけれど、とくに改善することもなかった。なるべく俺が勤務の時には、F氏への対応は他の職員がやってあげてね🙄ということになったんだけれども、気の毒がって助けてくれる人もいれば、『サボっている』、『甘えている』と受け取る職員もいた。

 コロナ禍でデイサービスが中止になって、デイサービスで入浴🛀を済ましていたF氏も、施設内で入浴介助をしなくちゃいけなくなった時も、身体が大きくて、片麻痺のF氏には危険がないように、『それ相応の介助の仕方🛀』のレクチャーが、介護職員全員にあったのだけれど、F氏の希望で、俺には介助されたくないからと、その指導すら受けさせて貰えなかった🙄。

 本当に跪いて、『どうか貴方様の介助を私にもやらせてください🙇‍♂️』と懇願してもダメだったw嫌いを通り越して殺意すら沸いてくる相手に対してww

 もちろん俺だけにじゃなくて、大なり小なりどの職員に対しても、こんな感じのF氏には、専用の『暴言暴力があった時に記録する表📑✍️』があって、ケアマネにもイロイロなことが伝わっていたのだけれど、最後まで改善されることはなかった。

 キーパーソンの唯一の家族であるらしい一人娘が40代だか、50代だかの独身で、東京🗼で弁護士をやっているという人で、そのパターンの定番で親に対する(つまりF氏に対する)執着が物凄くて、どれだけ暴虐無人に振る舞おうが、すべては自分の親の思いのままに..って感じだったそうだ。会社からしたら、刺激すると面倒くさい“弁護士の娘”に忖度して、いろいろ見て見ぬふりをしていたのかもしれない。結局、F氏は新しく増設された別の施設に、当時の施設長が引き取って連れて行ってくれて、俺の目の前からはいなくなった🤗。

 うちの施設にいた時から常々、『飯がまずい😡』と喚き散らかしていたが、ほぼ自立型の移っていった施設では、食事は宅食で済ましているそうだが、それも味が気に入らなくて、毎日3食届いたお弁当🍱を、新しい奴隷たちが、日々作り直しているらしい。なんかもうよくわからない🙄

 好き勝手暴虐無人に、奴隷に囲まれて、暴君のように過ごせるのは、本人にとっては幸せなことなのかもしれないが、誰からも嫌われて疎まれながら過ごす長い長い老後....

 悪いけれど王様👴🫅、あなただけは本当にいなくなってくれてよかったと思うよ。

 

fin.