うんこ拭きの覚え書き💩🗒✍️⑤

⑤.阿鼻叫喚‼︎失踪した施設長

 今から4年前の秋頃🍁🍂。その時は、珍しく県外出張で、神奈川県にいた俺様は、赤レンガ倉庫🧱とかいうオシャレスポットでなにやら、『ビールフェス🍻』なるものがやっていると知り、人生初くらいな勢いで地下鉄🚇に乗って、そのフェス(笑)に参戦して、どこかの民族衣装を着て踊る、綺麗なねーちゃんたちの脚を眺めながら、のほほんとビールを飲んでいた(もちろん独りで)💃🍺🥺

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 その土地での応援業務📣(前の会社の)は、間もなく終わり、その期間中に、東京から友達を呼んで中華街にも行ったし、崎陽軒シウマイ弁当🍱も食べたし、やたらと沢山あった焼き鳥屋さんも堪能したし..と、僅かながら、今ではとんと感じることも無い"生きる歓び"に浸っていた時...当時の自分の"ボス"から連絡が入り、神奈川から長野県(地元)に帰ってきたらすぐに、別の支店に応援に行ってくれと言われた📞😱

 その急遽っぷりときたら、月曜日の午後に神奈川から地元の松本に帰りついたら、火曜日の午前中には"次の応援先"に居ないといけない。と、こうだ🙄。

 世の中、そのくらいの慌ただしさで動き回っているビジネスパーソン(笑)は珍しくもなんともないのだろうけれど...あれ?俺ってうんこ拭き💩(介護職)だよね🤔営業マンじゃないよね❓と首を傾げた覚えがある。

 一度、地元に帰ってきても、キャリーバッグ🧳の整理をする暇もなく(ズクが無いせい)、長野県内の別の支店に、自分と同じく"応援"に駆り出されていた、当時の"戦友"を車で迎えに行って、そのまま次の戦場に向かった🪖笑笑

 初めて訪れたその支店は、老人ホームという形態の施設に、デイサービス専用の施設が併設されている、まぁまぁ大きなところだった🏤👀。なにやら、あまりにめちゃくちゃな勤務体制と人手不足で、残っていた介護職員が軒並み退職。その維持管理に躍起になっていた、そこの老人ホームの施設長は、遂にメンタルを患って音信不通に..失踪してしまったらしい🙄

 完全に、"破綻"状態のその支店に招集された応援要員は、関東甲信越圏内から、自分を含めて4人。生き残りの4.5人の介護職と、たしか2人居た看護師さんと、リハビリ専従のOTが1人。お隣のデイサービス施設の管理者と事務員で、70人くらい居た要介護老人達を、24時間凌ぎ切らないといけなかった😱

 ....まず、なにが困ったかというと、自分達(応援要員)がその日の夜に泊まる宿が無いこと😵いつもだったら、応援先では、会社が用意してくれたレオパレスか、ホテルで寝泊まりするのだったんだけれど、あまりに急遽に決まったせいで、それが用意されていない🙄。..俺様はなんとなく聞いていたので、自分でホテルを検索して予約していたんだけれど(神奈川に居た時点で)、他の3人はそれも無い💫。仕方がないから、何故だかその3人の泊まるホテルを、俺が検索して見繕った(※エロくない方のホテル🏨🙅‍♂️)

 その次の問題は..ホテルに支払うお金が無いこと💸😱。当然、出張(応援業務)先で寝泊まりするホテルの料金は、必要経費でいつも事前に渡されていた💰🤑..んだけれどその時は、それすら間に合ってなかったので、『後で補填するから実費でよろしく』とサラッと言われた。半月くらい滞在するビジホ(ビジネスホテル)の代金は、いくら安いところだと言っても十数万円はする😣💸そんな大金、サラッと払えるほど、普段給料貰ってねーから😡と、みんな激オコだったんだけれど、そこは、わけもわからずに"管理者"を代行することになった、デイサービスの施設長が自腹で貸してくれた。4人分の半月分のホテル代だったから50万円くらいを自分の口座から下ろしてきてくれた🏦🏧💰ありがたいけど、本当にめちゃくちゃだ😱『正社員の経済力って..スゴい😳』と胸がキュンとしたのを覚えている。

 いざ勤務が始まると、なにが困るって、管理者も統率者もいないこと😵。ホテル代を出してくれたデイサービスの施設長はそもそも、別の部門の人なので、利用者の顔も名前も当然わからない👴👵🤔。応援の4人ももちろん同じく。顔も名前も座席も居室もADLも、認知面もなんにもわからない70人をいきなり介護しろって言われたって、そりゃあ無理ってもんだ😣

 たしか、その施設での勤務の2日目が、いきなり"夜勤🌃"になっていて笑った覚えがある🤣

 そんな環境だもんだから、満足いくケア(笑)が提供出来ているわけもなく、利用者達は苛立ちと不満がMAXだった😡🙄。しかも、その土地の人間は、やたらと気性が荒いのか、余所者が嫌いなのかなんなのか、とんでもなく攻撃的。怒号や罵倒が飛び交っていた😰。

 コロナ以前だったその時には、なんだか訳の分からない"入居者の娘"とかいうキチガイおばさんが、朝から夕方🌆までずっと、自分の寝たきり痴呆の母親に張り付いていて、あーでもないこーでも無いと文句を喚き、職員の言動を逐一、監視して揚げ足を取り、誹謗中傷を騒ぎ散らす。なぜだか自分のことを、"この施設の入居者の代弁者"と位置づけているらしくめちゃくちゃ厄介な人だった。...そういう"ご家族様"がもう何人か居て、洒落にならない人手不足の中で、そーゆー圧力というか、干渉が強かったので、『そりゃあ、職員からしたら嫌になっちゃうよな😰』と思った覚えがある。週末(土日)になるとその"厄介ババア"がもう1人増える。平日は働いているらしいそのバka..じゃなくて"ご家族様"の姉妹がやってきて"貴重な御意見(笑)"が×2になる。

 そうこうしてる間に、もともとの、そこの職員だった二十代の女の子がまた1人潰れた。介護業界によくいる、『仕事出来ないけど働き者🙎‍♀️』タイプで、自分の勤務時間が終わったあとも(それはそれでありがたい部分もあったんだけれど)、何時間もサビ残して現場を手伝ってくれていた。この娘のことは、たまたま自分と同じ名字だったのでよく覚えている。俺のような、腐れ外道クズうんこ拭き💩(介護職)もいるけれど、最低最悪な環境の中で、この娘みたいに、頑張り過ぎて潰れてしまう介護職員たちは本当に沢山いる。社会の底辺の“使い捨ての下級国民”かもしれないけれど、その事実は出来るだけ多くの人に知ってほしいと痛切に願っている。

 その馬鹿クソ姉妹の寝たきりの母親の、おむつ交換に俺が入った時のこと..ふつう、おむつ交換をする時には、親族だって、居室の外に退室してもらうものなのだけれど、..というかこっちから声をかけなくても普通はそうするのだけれど、そのうんこ姉妹は、わざわざ腕を組みながら俺の真横に立って下さった。うんうんなるほどね。よそ者うんこ拭きの"お手並み拝見"ってわけね。またなにか粗を探して文句をいうネタが欲しいわけだ🙂。以下はその時の会話

うんこA『そういえばあの、◯◯って子(※)辞めたらしいよ。』

※◯◯ちゃん=休職した上記の女の子。辞めたんじゃなくて休職しているだけ

うんこB「あー、あの子。使えなかったよねw」

うんこA「うん。使えなかった。こんなとこにいても、行き遅れるだけだし辞めて正解だわwww」

 と、元から醜い顔を、さらに醜く歪ませながら、ゲラゲラ笑っていた🤣。俺の仕事は、ウンコ💩を片付けることなので..振り返って、この人型うんこ💩×2の顔面に、右ストレート🤛を叩き込んでやりたいな😝なんておもったのは内緒話だ。

 結局、その支店には2ヶ月ちかく駐留(笑)した。その後も定番の出張先になった。俺以外の応援要員は、何人も入れ替わったのだけれど、俺様はその"最悪の時期"の最初から最後まで居たことになる🙄。最後に『僕さんのおかげで乗り切れました』と、ご丁寧にも大きな箱に入った高そうなクッキー🍪の詰め合わせを戴いた。

クッキーは美味しかった😋。

 

fin.