孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

うんこ拭きの墓参り🪦💐

あっつい☀️🥵

 わかりきったことだけれど暑い。だから朝6時に起きて7時に出てきたのにあっつい🥵🥵俺は真夏の生まれだけれど夏が大嫌いです🌻🍉🎐💔。

ジャケット🧥着て歩くくらいの時期が1番いい☃️☃️。

 熱中症警戒アラート🥵不要不急の外出制限🙅‍♂️が声高にわめかれているなか、わざわざ出張って来たのはお婆ちゃんのお墓参りのため🪦。お盆とかいつからいつまでのことかよくわからないしどーせ仕事だし👵👀。実家は追い出されているので仏壇に手を合わせる🙏が出来ないので、たまにこうして墓参りに来る。うちの血筋のニンゲンで墓参りなんてする奴はいないので、いつ来ても草ボーボーで猫のフンまである💩😵いつも持ってくるお掃除セット🧹で掃除をして水と線香とライターと花💐であれこれする。

 生まれた時から人間関係が壊滅している俺様にとって世界で唯一尊敬し感謝すべき人が7年前に亡くなったこの祖母👵だ。子供の頃はいつだって死ぬほど虐待されていたし家の中ではいつでも立つ瀬がなかった俺が死ななくて済んだのは、お婆ちゃんが母親の目を盗んでこっそりご飯を食べさせてくれて、小学校の時には給食費を払ってくれていたからだ。

 この時期になると毎年思い出すのだけれど、このクソ暑い真夏に「就職活動」(昭和62年生まれの俺はちょうど就活の年がリーマン・ショックにかち合った🤯)でそこらじゅうをかけずり回っていた時..学生だったので当然、車も持っていなかったんだけれどその時に、お婆ちゃんに「ハイヤー代」(タクシー🚕のこと。昔の人はタクシーをよくハイヤーと呼ぶ🤔)と言ってお小遣いを貰っていた。なけなしのバイト代で県内中を回っていたのでほんとうに助かった🚉🚕。自分が介護をやり始めたときにはお婆ちゃんはもうずいぶん衰えていて老人ホームに入っていたから自分があれこれやってあげられたことは殆ど無かった😖。

 夜勤の時に亡くなったので死に目にも会えなかった。94才での大往生だから充分すぎるくらいなんだろうけれど..腐れ外道の俺でも「もっとあれこれやってあげたかったな」と思わなくも....ない😢

 もう片方の祖父母はまだ健在だ👵👴。崇敬する「あの方😍」から「後悔しないように‼︎」と言われているし、せいぜい孝行するようにしようそうしよう👀❗️

 お墓🪦の前でナムナム🙏してからいつも最後に「宝くじがあたりますように🥺✨✨」とお祈りするのだけれど、よくよく考えれば買ってないので当たるわけがない。

 

fin.