孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

うんこ拭きの女難歴💩👱‍♀️😐①

 俺は運が悪い。

 運というか巡り合わせというか、そういったものに本当に恵まれない。これは別に悲観やら、思い込みって範疇を超えて、"確率の偏り"や、"主観"以上の、周囲から見ても、『なんでそうなっちゃうの❓🤔』と思われるくらいには"不運"にまみれているらしい🐈‍⬛。

 ....思えば、中学時代に、2回連続の席替え(くじ引き方式)で、同じクラスに居た、学年で1番ブサイクな女子のKさんと、3回連続で隣の席になった時点で、『..ナニカがおかしい🤔❓』と薄々勘づいてはいた笑。

 その後に、クラス内のスクールカースト上位の、口を聞いたことも無ければ、目を合わせたこともない女子👩‍🦰から突然..『私はあなた(=俺)にずっとイジメられていた❗️いい加減にして❗️みんな知ってるんだからね😡‼️』と、突然謎の言い掛かりをつけられたことがある🙄。

 当時も、当然陰キャで"女子と関わる"なんて考えられないような、自分らしい中学生活(笑)を送っていたのだけれど、..なんか妙に女子生徒から嫌われているというか..避けられているなあ🤔というのは、なんとなく感じていた。

 中2の春に、いきなり意味不明なことを言われて大混乱した俺は、ビックリして担任の小平先生👨‍🏫に相談したら、『◯◯(俺に虐められたと騒いでいた女子)からそういう相談を受けている。』と聞いて心底、ビビったことがある😨。

 成績優秀で大人しい"優等生"なタイプのその娘が、周りに『私はあいつ(=俺)からイジメられている‼️』と言いふらしていたそうだ。その後、その娘と俺と担任の先生の3人で"三者面談"が開催されたのだけれど、その女子の言い分では、陰口を言われた、睨まれた、通りすがりに舌打ちされた。◯◯君と一緒に私の悪口を言っていた‼︎..と、自分には、まったく身に覚えのない話しが、わんさかわんさか出てきた😨。頭の中は『❓』でいっぱいだったんだけれど、この時に、"やったこと"の証明は出来ても、"やっていない"ことを実証することは不可能なんだ。と非常に勉強になった覚えがある。

 小、中学校時代は、母親からの虐待が1番キツかった時期で、自分で言うのもなんだけれど、今よりもずっと性格も暗かったし、コミュ力も無い。勉強も運動もからっきし😵で、かなりキツい時期だった。そこに来て、ただでさえ苦手かつ、関わりを持ったこともない"女子"から、突然『イジメられた!』なんて言いがかりをつけられて、しかもそれが、自分以外の広い範囲で、けっこう知れ渡っている話し🙄だったのはかなりショックだった🤯

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 まだ当時は、"メンヘラ"やら"発達障害"なんて言葉は無かったけれども、あまりにも何もかもが上手くいかない自分は、何処かがなにかの病気なんじゃないのか🧠🤔⁉️とかなり悩んだ覚えがある。頼れる大人なんていなかったし、本来、安全であるはずらしい、"家の中🏠"が自分にとっては、1番怖くて気が休まらない場所だったし🙄。

 なんとはなしにこの頃から、『俺は女子と関わらない方がいいな(※関わってもいなかったのだけれど)』と考えた覚えがある。

 その後、成績がとっても悪かったのと、家庭の金銭的事情により、地元の最底辺の公立高校に進学したのだけれど、ある意味、人生でこの時期が1番楽しかったかもしれない😆。

 この底辺不良高は、ガチのマジで本物の底辺不良高校で、有名な漫画の『クローズ』のモデルの一つになったところだ📖👀

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 なにせ、俺の頭ですらその中では"優等生"という想像を絶する凄いところだった🏫💯

 周りがアレ過ぎたせいもあるのだけれど、その高校の中では優等生(笑)だった俺は、『ここでなら上手くやれるかもしれない🥺‼️』と思って色々頑張った。生徒会の役員をしたり..このスーパー不良高の風紀委員会の委員長にもなった。(学園マンガやらアニメやらだと、風紀委員長ってやたらと強キャラなイメージがある笑)今でもよく覚えているのだけれど、このスーパー不良高の風紀委員会のやる事と言えば..登校してきた生徒に、玄関で靴を校内用の上履き👟に履き替えさせるというとても重大な任務を帯びていた(※事実。笑うところ)

 部活も弓道部🏹に入って部長になった。正確に言うと、俺が入部した時にはまだ同好会だったけれど。

 あれよあれよと進学の時期(高3頃)になったのだけれど、山梨学院大学🏫🎓に推薦枠で、入学するはずだった俺は、ちょうどその頃に発覚した父親の愛人問題と、愛人と旅行に行くためにこさえていた借金の露呈により、大学進学を諦めて、地元の短大に進んだ。..いやまぁ奨学金取ったりすればまた違ったんだけれど、当時そんな考え無かったし🙄

 この時期が、家の中が1番めちゃくちゃだった時期で、記述するととても面倒くさいので割愛する。結局、短大2年→3年時編入で、四年生の学部に行くことが出来たんだけれど、おかげで就活を2回やる羽目になった(ちょうど、リーマンショック氷河期世代です🦣笑)

 大学時代は記憶喪失レベルで何も覚えていないのと、とりたててなにも無かった。チンタラダラダラウダウダやりながら、卒業して、青果市場🍎🥬🌽🥒に務めたり、劇場の舞台の裏方スタッフ(非正規)で舞台照明🎹🎭💡をやったりしながら、20台の半ばでうんこ拭き💩(介護職)になった。クソ真面目で人一倍一生懸命!..とはよく言って貰えたのだけれども、どうしても人間関係やら、なにやらが上手くいかなくて、孤立しがちな俺様は、流れ流れて"底辺(カイゴギョウカイ)"に辿り着いたわけだ👴👵👀

 医療法人で老健や病院🏥に勤めたり、民間企業で富裕層と、生活保護受給者それぞれのうんこ💩を片付けて回った👴👵🏃‍♂️💨

 そんなこんなしてる間に、30才を超えて、人生で初めて彼女が出来た👀

 

②に続く