孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ💩:®️

“奴隷(介護職)”をクビになって、“社畜(葬祭屋)”になってまた介護職に復職したおっさんの随筆集✍️

お値段以上、MITORI

 俺が心の中でこっそりと、個人的に"安置室の控え室"と呼んでいる部屋がある。"終(つい)の住処"なんて呼ばれているらしい、現代日本社会の最果ての地、特養(特別養護老人ホーム)には、ここで死ぬ為に入居してくる、色々な意味で末期な老人たちが山のようにいる。大袈裟ではなくて一度、門を潜(くぐ)ったら次にその門(入り口🚪)を潜るのは死ぬ時。って人ばかりのところだ。

Relinquite omnem spem. vos pui intratis.

 まー..つまりこんな感じ。👆👆

あれやこれやの状態が悪化して、『あー、そろそろ死ぬかな❓』という状態になった人が移されるのが冒頭の、安置室の控え室..つまり看取り部屋🛌だ。だいたい常に1人か2人は、"死に待ち"状態の人がいて、この看取り部屋に収容(?)されている。もういいだろう!と思うのだけれど施設は未だに一応は、面会禁止状態(コロナやらの感染症対策で)で、猥雑な手続きをしないとご家族様(笑)も入って来られないのだけれど、看取り部屋に収容された仏様..もとい神様のご家族さまはフリーパスで入って来られるようになる。...コロナウイルスは空気読んで『この人は看取りの方のご家族だから感染するのやめよう!』とかは考えないと思うのだけれどいいのかな❓

 ゆうても来たところで"死に待ち"状態の仏様..じゃなくて、神様たちはもう意識もあるんだかないんだかわからない状態なので、なにかしらの意思疎通をするってことが出来ることはほぼない👴👵。ぼんやりやってきてぼんやり顔を覗きこんで帰るだけだ。

 うんこ拭き💩(介護職)側としても、ものすごく頻繁に巡視をしたり、ことっ細かにいろいろな記載📄✍️をしないといけないので面倒くさi..手間が掛かって大変だ🙄。いざ亡くなると、方々への連絡やら、エンゼルケアやらも介護職がやらないといけないのでぶっちゃけ、『召されるなら自分のシフトじゃない時にしてくんないかなぁ〜👼』ってみんな思っている。そして何故だかその亡くなられたご入居者様との美しい思い出みたいなものを書いて提出しなければいけないという謎仕様になっている。ハナから寝たきりだからそんなもの無いので捏造するだけなんだけれど....日本人は"死"を"ケガレ"として徹底的に忌避して他人に押し付けている癖に、一方で"美談"にしないと気が済まないというような性質な気がする(個人的な意見)。なんでだろう❓宗教ってものの存在がものすごく薄いから、実際に、天国やら輪廻転生みたいな"死後の生"みたいなものを信じていないからだろうか😗❓..これも個人的意見だけれど、死んだ後まで天国だの地獄(俺は確実にこっち👍)になんて行きたくない。完全に消滅して無になりたい。

 "人の死が日常"なんて界隈で生きている人はごく少数派だろうし、なんなら避けられて当然だけれど、直にそれに接していると、いちいち悲しんでなんかいられなくなる。...むしろ、グロテスクなまでの猛烈な"延命"にさらされている状態を常に見ているので、亡くなられた人は『解放された』んだなんておもったりもする。下衆(ゲス)の極みだけれど乙女じゃ無い俺だけかもしれないけれどww

 安置室の控え室..もとい、"虹の橋の麓🌈"は今日もいっぱいだ🛌👴👵👀。人類のすべての歴史、すべての地域のなかで、"この世"なんかより"あの世"の方が良い所ってことになっている。

さぁ今日も、大嫌いな仕事をしよう💩💩💩

 

fin.